※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 中橋徳五郎氏を委員長としてソーダ会社設立に着手 | 当社 | |
9月 | 保土谷化学工業(株)がわが国初の隔膜法電解ソーダ事業を開始 | 社会・一般 | |
10月26日 | 大阪ソーダ(株)創立総会//本社 大阪市北区梅田新道(宇治電ビル)に設置//本日を大阪ソーダ(株)及び小倉工場創立記念日とする | 当社 | |
11月9日 | 大阪ソーダ(株)設立。資本金75万円//水銀法電解ソーダ事業の本邦創始 | 当社 | |
- | 前年3月ぼっ発の第1次世界大戦のため輸出激増。人絹、染料、硫安、薬品等の化学工業がぼっ興。大戦景気始まる | 社会・一般 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小倉工場 福岡県企救郡板櫃(びつ)村(現北九州市小倉北区高見台)に建設工事着工 | 当社 | |
8月 | 工場法施行令公布 | 社会・一般 | |
11月1日 | 小倉工場 第1期工事竣工。能力:かせいソーダ48t/月(製品濃度NaOH25%)、電解電流2.5KA、櫂(かい)式水銀循環装置付セメント底電解槽22槽、槽を汞(こう)和室、解汞室に2区分、解汞板は鋳鉄。さらし粉100t/月、鉄槽石灰静置式。その他固形ソーダ、硬化油 | 当社 | |
12月27日 | 本社 大阪市北区堂島浜通1丁目112番地へ移転 | 当社 | |
12月 | ドイツの休戦申入れで株式市場大暴落 | 社会・一般 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 小倉工場 第2期工事竣工。電解槽計44槽 | 当社 | |
7月21日 | 本社 大阪市北区安治川上通1丁目13番地へ移転 | 当社 | |
9月 | 金輸出禁止(事実上の金本位制停止) | 社会・一般 | |
10月 | 青島塩単独輸入。工業塩自己輸入の端緒 | 当社 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 小倉工場 第3期工事竣工。能力:かせいソーダ95t/月、電解電流2.5KA、電解槽66槽。さらし粉280t/月。その他固形ソーダ、硬化油 | 当社 | |
7月 | 米価大暴騰 | 社会・一般 | |
10月18日 | 資本金 200万円に増資 | 当社 | |
11月 | 第1次世界大戦終結 | 社会・一般 | |
12月 | 「ソーダ、さらし粉同業会」設立される | 社会・一般 | |
- | 小倉工場 硬化油製造中止。水素放出 | 当社 |