※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 尼崎工場 次亜塩素酸ソーダ製造開始 | 当社 | |
- | 小倉、尼崎工場 電解槽水銀循環装置を翼車式に改造 | 当社 | |
- | 綿布輸出高世界第1位、人絹生産高世界第2位となる | 社会・一般 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 「満州国」帝政実施 | 社会・一般 | |
9月21日 | 尼崎工場 第1次室戸台風来襲。以後約40日間運転中止 | 当社 | |
9月 | 第1次室戸台風来襲。関西地方大被害を受ける | 社会・一般 | |
12月20日 | 尼崎工場 第3期工事竣工。能力:かせいソーダ650t/月、セメント底電解槽114槽。液化塩素、ロータリーブースター式アンモニア1段間接冷却法、ナッシュポンプ式アンモニア2段間接冷却法各1基。その他固形かせいソーダ、合成塩酸、さらし粉 | 当社 | |
- | 東北冷害、西日本干害、関西風水害のため米作等大凶作 | 社会・一般 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月24日 | 尼崎工場 電解槽2槽増設。計116槽 | 当社 | |
- | 尼崎工場 圧縮水素製造開始 | 当社 | |
- | 小倉工場 電解槽10槽増設。計112槽 | 当社 | |
- | 綿布輸出量、史上最高となる。貿易収支、大正8年(1919)以来17年ぶりに黒字となる。重化学工業の生産が軽工業の生産を追越す | 社会・一般 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 日独防共協定調印 | 社会・一般 | |
- | 電解槽陽極と竪棒の連結くさび止をテーパー式に改良 | 当社 | |
- | 人絹生産高世界第1位。準戦時経済体制始まる | 社会・一般 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 盧溝橋事件ぼっ発、日中戦争(当初「北支事件」、9月2日より「支那事変」と公称)となる | 社会・一般 | |
8月 | 上海において日中両軍衝突 | 社会・一般 | |
11月 | 日独防共協定にイタリア参加 | 社会・一般 | |
12月17日 | 尼崎工場 昭和塩素工業(株)休止に伴いその敷地、建物を当社が買収 | 当社 | |
12月 | 日本軍の指導により北京に「中華民国臨時政府」成立 | 社会・一般 |