(株)資生堂『資生堂宣伝史. 2』(1979.07)

"中谷善三郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和9年(1934) - ▼中谷善三郎(意匠 4月)、若見四郎(業務・文案 9月)入部。近江匡(意匠 5月)大阪販売会社より入部。駒井玲子退部 資生堂宣伝史
昭和12年(1937) - ●大型ウインドーバック制作開始―女性像のイラストレーションによる菊全判の多色刷ポスター、専用の額縁とともにチェイン店へ配布。昭和12年から15年にかけ、年2回制作。デザイン・山本武夫、山名文夫、中谷善三郎、近江匡 資生堂宣伝史
- ●店舗設計サービス―大阪駐在・乙部孝および東京販売会社・森昇(昭和13年意匠部へ転部)が、これまで携っていたが、意匠部の正規業務となったのは、この年から。担当の中谷善三郎は、そのため日本大学建築科(夜間)へ社命により1年間通学した 資生堂宣伝史
昭和18年(1943) - 石井華一、田中武雄、小谷鉄雄退社(3月)。平井康雄、中谷善三郎徴用退社(10月)。坪井鶴吉徴用(12月、翌年召集) 井上冬之助、山名文夫、岩本守彦、若見四郎、乙部孝退社(12月) 資生堂宣伝史
PAGE TOP