"山名文夫"が書かれている年表項目はハイライトされています。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | ▼山名文夫(意匠)入社。沢令花退社 | 資生堂宣伝史 |
昭和7年(1932) | - | ●「モダンカラー粉白粉」発売―蓋に女性の顔を大きく描き、色数も多く使った。デザイン・山名文夫//コールドクリームの「赤箱」以外は派手な色彩に乏しかったので、店頭で目立った | 資生堂宣伝史 |
- | ●小型パンフレット「粧ひ」制作―イラストレーション全盛のなかにあって、写真によるモンタージュ構成を駆使している//撮影・井深徴、デザイン・前田貢、山名文夫 | 資生堂宣伝史 | |
- | 岩本朝彦(編集)、初の新卒業生として入部。中島幸次(写真大正12年入店)入部。諏訪兼紀病没(4月29日)、山名文夫退社 | 資生堂宣伝史 | |
昭和11年(1936) | - | ▼山名文夫(意匠 2月)、坪井鶴吉(意匠 2月)、渡部害[豁](意匠 10月)入部。岩本朝彦(4月)退社 | 資生堂宣伝史 |
昭和12年(1937) | - | ●大型ウインドーバック制作開始―女性像のイラストレーションによる菊全判の多色刷ポスター、専用の額縁とともにチェイン店へ配布。昭和12年から15年にかけ、年2回制作。デザイン・山本武夫、山名文夫、中谷善三郎、近江匡 | 資生堂宣伝史 |
昭和13年(1938) | 5月 | 「中煉歯磨」発売―デザイン・山名文夫、岩本守彦 | 資生堂宣伝史 |
- | ●花椿会記念品制作―和装用西陣織ハンドバッグ、デザイン・山名文夫 | 資生堂宣伝史 | |
昭和14年(1939) | 2月 | ニューヨーク万国博日本館出品用蚕糸写真壁画制作―縦5.2×横17メートル。デザイン・山名文夫、撮影・井深徴 | 資生堂宣伝史 |
昭和15年(1940) | 4月 | 「ブルーバード・ゾートス化粧品」発売―デザイン・山名文夫 | 資生堂宣伝史 |
- | ●月刊誌「新青年」に男子用化粧品のシリーズ広告―デザイン・山名文夫、コピー・太田勝也 | 資生堂宣伝史 | |
昭和16年(1941) | 6月 | 楠田薫をモデルに大型ウインドーバックと雑誌広告制作―撮影・平井康雄、デザイン・近江匡、指示・山名文夫 | 資生堂宣伝史 |
7月25日 | ▼宣伝普及部次長兼広告課長に白川虔三、意匠図案課長に山名文夫、写真課長に井深徴が就任//怡土良彦、現役兵として入隊(18年戦死) | 資生堂宣伝史 | |
昭和18年(1943) | - | 石井華一、田中武雄、小谷鉄雄退社(3月)。平井康雄、中谷善三郎徴用退社(10月)。坪井鶴吉徴用(12月、翌年召集) 井上冬之助、山名文夫、岩本守彦、若見四郎、乙部孝退社(12月) | 資生堂宣伝史 |
昭和21年(1946) | - | 大久保武、山名文夫、橋本徹郎ら日本デザイナー協会結成 | 政治・社会・文化 |
昭和23年(1948) | - | ●山本武夫美術課長退社(1月27日)。山本武夫、山名文夫、宣伝文化部嘱託となる(1月30日、2月4日)。矢部信寿復帰(6月) | 資生堂宣伝史 |
昭和26年(1951) | 5月 | 「ドルックス化粧品」復活―フランス唐草をシンボルパターンとする。デザイン・山名文夫 | 資生堂宣伝史 |
昭和34年(1959) | 3月18日 | ▼近江匡宣伝部長、大阪出張中急逝。若見四郎広告1課長、次長(4月1日付)として責任者となる//山名文夫、山本武夫宣伝部嘱託、顧問に就任(9月8日) | 資生堂宣伝史 |
昭和36年(1961) | 5月30日 | 山名文夫顧問、日本宣伝賞第1回吉田賞受賞(八芳園) | 資生堂宣伝史 |
昭和40年(1965) | 9月 | 「プリオール」発行―B版変形(210×300ミリ)、168ページ、編集・山名文夫、山本武夫ほか//花椿会プリオール会員に贈呈するおしゃれを中心とした雑誌形式の出版物 | 資生堂宣伝史 |