(株)資生堂『資生堂宣伝史. 2』(1979.07)

"山名文夫"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和4年(1929) - ▼山名文夫(意匠)入社。沢令花退社 資生堂宣伝史
昭和7年(1932) - ●「モダンカラー粉白粉」発売―蓋に女性の顔を大きく描き、色数も多く使った。デザイン・山名文夫//コールドクリームの「赤箱」以外は派手な色彩に乏しかったので、店頭で目立った 資生堂宣伝史
- ●小型パンフレット「粧ひ」制作―イラストレーション全盛のなかにあって、写真によるモンタージュ構成を駆使している//撮影・井深徴、デザイン・前田貢、山名文夫 資生堂宣伝史
- 岩本朝彦(編集)、初の新卒業生として入部。中島幸次(写真大正12年入店)入部。諏訪兼紀病没(4月29日)、山名文夫退社 資生堂宣伝史
昭和11年(1936) - ▼山名文夫(意匠 2月)、坪井鶴吉(意匠 2月)、渡部害[豁](意匠 10月)入部。岩本朝彦(4月)退社 資生堂宣伝史
昭和12年(1937) - ●大型ウインドーバック制作開始―女性像のイラストレーションによる菊全判の多色刷ポスター、専用の額縁とともにチェイン店へ配布。昭和12年から15年にかけ、年2回制作。デザイン・山本武夫、山名文夫、中谷善三郎、近江匡 資生堂宣伝史
昭和13年(1938) 5月 「中煉歯磨」発売―デザイン・山名文夫、岩本守彦 資生堂宣伝史
- ●花椿会記念品制作―和装用西陣織ハンドバッグ、デザイン・山名文夫 資生堂宣伝史
昭和14年(1939) 2月 ニューヨーク万国博日本館出品用蚕糸写真壁画制作―縦5.2×横17メートル。デザイン・山名文夫、撮影・井深徴 資生堂宣伝史
昭和15年(1940) 4月 「ブルーバード・ゾートス化粧品」発売―デザイン・山名文夫 資生堂宣伝史
- ●月刊誌「新青年」に男子用化粧品のシリーズ広告―デザイン・山名文夫、コピー・太田勝也 資生堂宣伝史
昭和16年(1941) 6月 楠田薫をモデルに大型ウインドーバックと雑誌広告制作―撮影・平井康雄、デザイン・近江匡、指示・山名文夫 資生堂宣伝史
7月25日 ▼宣伝普及部次長兼広告課長に白川虔三、意匠図案課長に山名文夫、写真課長に井深徴が就任//怡土良彦、現役兵として入隊(18年戦死) 資生堂宣伝史
昭和18年(1943) - 石井華一、田中武雄、小谷鉄雄退社(3月)。平井康雄、中谷善三郎徴用退社(10月)。坪井鶴吉徴用(12月、翌年召集) 井上冬之助、山名文夫、岩本守彦、若見四郎、乙部孝退社(12月) 資生堂宣伝史
昭和21年(1946) - 大久保武、山名文夫、橋本徹郎ら日本デザイナー協会結成 政治・社会・文化
昭和23年(1948) - ●山本武夫美術課長退社(1月27日)。山本武夫、山名文夫、宣伝文化部嘱託となる(1月30日、2月4日)。矢部信寿復帰(6月) 資生堂宣伝史
昭和26年(1951) 5月 「ドルックス化粧品」復活―フランス唐草をシンボルパターンとする。デザイン・山名文夫 資生堂宣伝史
昭和34年(1959) 3月18日 ▼近江匡宣伝部長、大阪出張中急逝。若見四郎広告1課長、次長(4月1日付)として責任者となる//山名文夫、山本武夫宣伝部嘱託、顧問に就任(9月8日) 資生堂宣伝史
昭和36年(1961) 5月30日 山名文夫顧問、日本宣伝賞第1回吉田賞受賞(八芳園) 資生堂宣伝史
昭和40年(1965) 9月 「プリオール」発行―B版変形(210×300ミリ)、168ページ、編集・山名文夫、山本武夫ほか//花椿会プリオール会員に贈呈するおしゃれを中心とした雑誌形式の出版物 資生堂宣伝史
PAGE TOP