住友化学工業(株)『住友化学工業株式会社史』(1981.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
元亀3年(1572) - 業祖蘇我理右衛門(寿済)生まる 前史関係
天正13年(1585) - 家祖住友政友(嘉休)生まる 前史関係
天正18年(1590) - 理右衛門、京都に銅吹き・銅細工を業とす(屋号泉屋) 前史関係
寛永7年(1630) - 二代友以、本拠を京都から大阪に移す 前史関係
天和元年(1681) - 三代友信、備中吉岡銅山の経営開始 前史関係
元禄3年(1690) - 四代友芳、伊予別子銅山発見、翌四年開坑 前史関係
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
6月 別子銅山、フランス人コワニェに視察依頼 前史関係
6月 コワニェ、硫化鉱による硫酸製造勧告 前史関係
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月 別子銅山改革のためフランス人ラロック雇入れ 前史関係
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
11月 ラロック、別子銅山目論見書提出 前史関係
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 広瀬宰平、総理代人就任 前史関係
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
10月 別子山村で湿式収銅開始 緑礬製造 前史関係
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
3月28日 住友家家法制定 前史関係
3月28日 広瀬、総理人就任 前史関係
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
5月 新居浜村惣開に洋式製錬所開設 前史関係
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
5月 角野村山根に湿式収銅・硫酸設備着工 前史関係
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
6月 山根の設備完成、硫酸製造開始 前史関係
11月28日 山根製錬所設置 前史関係
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
10月1日 神戸に樟脳製造場を開設(35年5月閉鎖) 前史関係
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
5月 別子銅山開坑二〇〇年記念祭挙行 前史関係
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