大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 大阪ホテルに於て発起人森田茂吉氏議長となり創立総会を開き、大日本セルロイド株式会社の設立を決議。堺セルロイド株式会社、日本セルロイド人造絹糸株式会社、大阪繊維工業株式会社、東京セルロイド株式会社、三国セルロイド合資会社、能登屋セルロイド製造所、東洋セルロイド株式会社、十河セルロイド工場を買収、樟脳関係工場たる網干、神崎、堺、東京の四工場運転を開始、資本金を一千二百五十万円とす。取締役社長森田茂吉氏、専務取締役嶋村足穂氏、常務取締役西宗茂二氏、浅野修一氏、取締役藤野亀之助氏、広瀬高治氏、監査役平田篤太郎氏、松田茂太郎氏を選出 会社年表
9月17日 会社設立登記を申請、即日登記済 会社年表
10月4日 本社に臨時株主総会を開催、代表取締役を取締役社長森田茂吉、専務取締役嶋村足穂、常務取締役西宗茂二、同浅野修一の四氏に決定 会社年表
11月15日 大正天皇、大演習御統裁のため大阪市に行幸の際府下特産品を叡覧。本社製品セルロイド生地及び加工品三点もこの内に加へらる 会社年表
11月26日 北白川宮殿下大阪府商品陳列所に於ける貿易品展覧会へ御来場、本社製品化粧具及び歯刷子一箱献上 会社年表
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月13日 △平和克服の詔書 会社年表
1月16日 △国際聯盟成立 会社年表
1月29日 会社商標登録農商務省特許局より許可 会社年表
6月11日 堺工場に附属の製紙工場を独立せしめ、新坂儀助技師を工場長とす 会社年表
7月14日 第一次大戦後襲来せる世界的不況のため、内外の注文殆んど杜絶したるために、神崎工場を一時的閉鎖 会社年表
8月18日 海外の商況を視察し、之に対応する商策樹立のため常務取締役西宗茂二氏事務員森田茂樹氏を欧米に派遣 会社年表
9月8日 網干東京両工場及び製紙工場を一時閉鎖、堺工場のみ運転、社員職工等の第一次整理を断行 会社年表
11月20日 臨時株主総会に於て流通資本に充当のため堺工場に工場財団を設定、担保付借入金を為すことを決議 会社年表
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月7日 社員職工等の第二次整理を断行、常勤取締役当分報酬率減、其他の取締役及び監査役は当分報酬を辞退 会社年表
4月29日 ドイツ人造樟脳三百五十キログラム参考用として専売局へ寄附 会社年表
6月18日 仏国アン県オヨナツクス町に輸出向セルロイド貯蔵用倉庫設置につき之が監督並びに商況視察のため伊藤吉次郎氏(現社長)派遣 会社年表
8月 セルロイド市況漸く安定の域に達す 会社年表
9月10日 本社販売係員東京駐在所を東京市日本橋区馬喰町四ノ一二に移転 会社年表
11月12日 △ワシントン軍備縮小会議開催 会社年表
12月10日 南海晒粉株式会社に投資し、浅野修一氏を同社取締役と為すことを決議、日本輸出櫛共同販売所創立により之に投資することを決議 会社年表
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