※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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460年 | - | [460年ごろ] メキシコで、それまでは煙草は宗教儀式のために焚いていたが、この年代から、パイプにつめて日常的に喫煙する習慣が定着していった。 | 香料関連 |
520年 | - | [520年ごろ] インドの婦人の間に、蓮の花から絞ってとった香料を体に塗るのが流行した。 | 香料関連 |
530年 | - | [530年ごろ] 中国で黒砂糖を精製して、粉状の砂糖を作る技術が開発された。それまでは、サトウキビを煮て乾しただけの。いわゆる石蜜とよばれる塊状のものであったが、粉状になったため使用するのに大変便利になった。 | 香料関連 |
595年 | - | 沈香木が淡路島(和歌山県ともいわれている)に流れつき、村人は、それを沈香木と知らず薪と一緒に焚いたところ、その煙りが香気を放ち、その香りが奈良の都まで届いた。都から使者がきて、その沈香木をたしかめたところ、「蘭奢侍」とよばれる名香木であった。東大寺は、蘭から東、奢から大、侍から寺をとって命名された。なお、この「蘭奢侍」は正倉院に納められている。 | 香料関連 |
610年 | - | [610年ごろ] チベット人は、古来から顔を赤く塗って化粧していたが、突然、その化粧法が禁止された。チベット王の許へ、中国から嫁いできた皇女が、その化粧法を極端に嫌い王に禁止令を出させたため。もっとも日本人も卑弥呼の時代は赤塗りの化粧法であった。 | 香料関連 |
611年 | - | 推古天皇が、百官を従えて、大和の莵田野へ薬草を取りに出掛けた。その日が五月五日だったので、五月五日はくすりの日ということになっている。 | 香料関連 |
670年 | - | [670年ごろ] 西アジア原産のニンニク、コンニャクが唐への留学僧の手によって日本に伝えられる。八〇四年に最澄が、八〇五年に空海が唐から帰国するが、この時茶と香木を持ちかえった。ただ持ち帰った茶は、団茶なのか、それとも苗か、種子なのかは不明。 | 香料関連 |
680年 | - | [680年ごろ] 中南米のマヤ王国では、この時代すでにココアを栽培していた。しかし、今日のように飲料としていたわけでなく、主食に近いかたちの食料として用いていた。 | 香料関連 |
692年 | - | 元興寺の僧観成が、鉛白白粉を作った。それまでは白粉は米粉を用いていた。「延喜式」(九二七年公布)には女御の白粉料として糯米一石五斗、粟一石と規定されているので、鉛白粉(はふに、または京白粉)や水銀を原料とした伊勢白粉(はらや)が現われても、白粉料は下賜されていた。 | 香料関連 |
822年 | - | ビールの苦味はホップによるものだが、この年、はじめてビールにホップが使われた。ホップ入りのビールを造ったのはコルベイの修道院。 | 香料関連 |
- | この年代、ヨーロッパのビール工場はすべて修道院の管轄下にあった。修道院長がビールにホップの花を浮かして飲んだところ、大変美味だったので、それ以後、コルベイの修道院のビールにはホップが入るようになり、ホップ入りビールはあっという間に全ヨーロッパに普及した。ホップは、それまでは葉を食べる野菜として栽培されていた。なお、紅茶、コーヒーが普及するまで、ビールは最も大衆的な飲物であった。 | 香料関連 | |
880年 | - | [880年ごろ] ペルシャで、コーヒーの果実を火にあぷり、それを乳棒と乳鉢で砕いて熱湯を入れて飲用した。今日のようにコーヒー豆を煎って飲む方法とは大分違うが、コーヒーの生産地外でコーヒーが飲まれたのは、これがはじめてである。 | 香料関連 |
940年 | - | [940年ごろ] 西瓜の種がシルクロードを通って中国に伝わった。これ以後、中国で西瓜栽培が盛んに行われた。 | 香料関連 |
1000年 | - | エチオピア原産のコーヒー豆がアラビアに伝えられたが、豆をそのまま煮つめて薬用に用いられたにすぎなかった。 | 香料関連 |
- | [1000年ごろ] ヨーロッパで、牛に代って馬が農耕に使われだした。牛に比べて五倍以上の能力を発揮し農産物の生産があがった。ただ馬を使うには、重い荷を引けるような皮製の胸あてに工夫が必要であった。そのため革の加工技術が著しく進歩した。その加工技術がやがてはカバン、ハンドバック、皮手袋等の革加工製品に生かされ、さらに革を素材にしての服飾へと発展。やがては、そこから世界をリードするパリファッションが生れてくる。また、革の臭いを消すための香料の研究が進められた。フランスの名香水といわれるものを手がけている会社のルーツを探ると、馬具製造業者が多いのは、そのためである。グッチ、エルメスなど。 | 香料関連 | |
1020年 | - | [1020年ごろ] ヨーロッパの修道院が、自家製ビールの拡販を目的に巡礼者、旅行者が手軽に飲めるようなビール提供の店をつくった。ビヤホールのはじめ。 | 香料関連 |
1110年 | - | [1110年ごろ] ドイツ女性はどういうわけか洗髪の回数が少なく、年一回ぐらいの洗髪ですませていた。(男性も同じ)しかし、この年代からは洗髪回数が増えていった。理由は、この年代から銅や錫のかなだらいが使われるようになり、そのかなだらいの内側を磨いておくと鏡の代用になり、自分の顔を映してみる機会が増えたからであった。 | 香料関連 |
1150年 | - | [1150年ごろ] フランスでは、理髪師は浴場のお抱えだったが、利益の配分をめぐって争いが絶えず、この年代から理髪師は独立した。 | 香料関連 |
1180年 | - | [1180年ごろ] イスラム社会では「コーラン」によって飲酒はいましめられているので、水にバラの花を浮かしてその香りを楽しむことが流行ったが、バラ水と称してアルコールを混ぜて飲む者もいた。 | 香料関連 |
1190年 | - | 一一八九年の第三回の十字軍の遠征の折り、その補給をつとめたのはイタリアの艦隊であった。補給の帰途、オリエント特産の胡椒を大量に積んできて、ベネチアで売捌き、莫大な利益をあげた。 | 香料関連 |