日立化成工業(株)『日立化成工業社史』(1982.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
- この年、外国品の輸入途絶 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
7月31日 米価暴騰、各地の米殻取引所立会停止 明治41年から当社設立まで・社外事項
10月25日 ワニス工場、山手工場内芝内停留所前に移転し落ちつく 明治41年から当社設立まで・社内事項
11月11日 第1次世界大戦終結 明治41年から当社設立まで・社外事項
- この年、終戦による反動不況 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 (株)日立製作所設立(資本金1,000万円、専務小平浪平) 明治41年から当社設立まで・社内事項
3月15日 株式市場大暴落、戦後恐慌始まる 明治41年から当社設立まで・社外事項
5月 日立工場で佐藤理化学研究所製「アイボライト」注型品の分析を機に、フェノール樹脂の製造研究に着手 明治41年から当社設立まで・社内事項
10月1日 第1回国勢調査実施 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 高尾日立工場長、フェノール樹脂系製品に「日立」の意味を込めて「スタンドライト」と命名(「日立」の「日」=ライト、「立」=スタンドとしたもの) 明治41年から当社設立まで・社内事項
- この年、電力会社は余剰電力に悩む 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
7月 フェノール樹脂の成形法の研究開始 明治41年から当社設立まで・社内事項
- 戦後再度の恐慌、株式暴落、諸物価急落 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
6月 変圧器用絶縁筒「日立筒(ニチリット)」の試作研究開始 明治41年から当社設立まで・社内事項
9月1日 関東大震災 明治41年から当社設立まで・社外事項
- この年、不況深刻 明治41年から当社設立まで・社外事項
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
9月 横田兼吉「電気絶縁物製造方法」特許出願(大正14年1月特許第62005号として登緑、B号コンパウンドに関する特許) 明治41年から当社設立まで・社内事項
10月 芝内工場に日立筒工場(554m2)が完成し、積層管・棒の生産開始 明治41年から当社設立まで・社内事項
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
2月 ベークランド法特許満了(昭和4年5月12日)に備えてフェノール樹脂の自家製造法の研究を開始 明治41年から当社設立まで・社内事項
4月22日 治安維持法公布 明治41年から当社設立まで・社外事項
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