※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
7月12日 | (社)東京放送局、本放送開始 | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
- | 日立ワニス、コンパウンドの外販開始 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌はじまる | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
12月30日 | 地下鉄、浅草―上野間開業 | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
12月 | 自家試作フェノール樹脂による成形材料の試作研究ほぼ完成 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 芝内停留所前ワニス工場、午後零時45分出火、揮発油への引火により消失 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
5月 | ワニス工場、助川町芋子内の電線工場内に移転 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
6月4日 | 張作霖爆死事件 | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
11月5日 | NHK、初めて全国中継放送を行なう | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
12月 | マイカ貼作業、日立工場電工係よりワニス工場に移管 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
12月 | 布チップ系、紙チップ系成形材料の試作完成 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 湿式法によるフェノール樹脂成形材料の製造本格化、成形品までの一貫生産体制確立 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
5月 | スロットライナーを試作 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
10月24日 | ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌始まる | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 厚さ0.25mmの1号マイカ板を試作 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
11月 | 電気絶縁用フェノール樹脂積層板の試作研究に着手 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
- | この年、世界恐慌日本に波及、不況深刻化 | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ユリア樹脂の製造研究に着手 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 | |
4月1日 | 重要産業統制法公布 | 明治41年から当社設立まで・社外事項 | |
7月 | ワニスクロスの製造計画を立案 | 明治41年から当社設立まで・社内事項 |