(国研)理化学研究所『理化学研究所百年史. 第3編 資料』(2018.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
5月24日 大河内正敏 入所 理研の歩み
7月10日 仁科芳雄 研究生として入所 理研の歩み
7月 富山県で米騒動 日本の動き
12月19日 真島利行 理研で最初の特許 インドールの製造法 理研の歩み
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
- 1919秋 鈴木梅太郎 合成酒の製造研究に着手 理研の歩み
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月10日 国際連盟に正式加入 日本の動き
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
4月5日 仁科芳雄 留学 理研の歩み
4月11日 尺貫法を廃し、メートル法採用 日本の動き
9月30日 古市公威所長、桜井錠二副所長辞職 理研の歩み
10月7日 第3代所長 大河内正敏//本多光太郎 入所//仁科芳雄 研究員に 理研の歩み
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
1月1日 主任研究員制度発足(主任研究員が裁量権をもって研究室を主宰する制度)14研究室設置 理研の歩み
1月24日 池田菊苗ら 「アドソール」関連の最初の特許 理研の歩み
5月8日 理研欧文報告創刊 理研の歩み
6月7日 理研彙報創刊 理研の歩み
9月1日 加藤セチ(理研初の女性研究者) 入所 理研の歩み
9月13日 高橋克己 ビタミンAをタラの肝油から分離抽出 理研の歩み
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 日本で初めてビタミンAを販売 理研の歩み
6月30日 第2代総裁 伏見宮博恭王殿下(ふしみのみやひろやすおうでんか) 理研の歩み
9月1日 関東大震災(M7.9) 理研の被害は約3万円(全研究費 18万1044円) 日本の動き
10月4日 辻村みちよ 入所 理研の歩み
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