(国研)理化学研究所『理化学研究所百年史. 第3編 資料』(2018.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
10月19日 国立科学研究センター(CNRS)設立(フランス) 世界の動き
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
5月27日 エドウィン・マクミラン サイクロトロンで93番元素Np-238を合成(最初の元素合成の報告) 世界の動き
9月27日 日独伊三国軍事同盟 日本の動き
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
7月 理研重工業ほか6社の合併により理研工業 設立 理研の歩み
12月8日 太平洋戦争勃発 日本の動き
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
3月20日 創立25周年記念祝賀式開催、『研究二十五年』発行 理研の歩み
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
11月9日 イタリア王国 無条件降伏 世界の動き
12月 大サイクロトロン(60インチ、210トン)完成 理研の歩み
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
12月7日 東南海地震(M7.9) 日本の動き
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月10日 東京大空襲 日本の動き
4月13日 13-14日 東京空襲により駒込の建物の3分の2、設備のほとんどを失う 理研の歩み
5月7日 ドイツ 降伏文書に調印 世界の動き
8月6日 広島に原爆投下される 日本の動き
8月8日 8-15日 仁科芳雄らは新型原子爆弾と確認、広島・長崎を相次いで科学的調査 理研の歩み
8月9日 長崎に原爆投下される 日本の動き
8月10日 ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結 日本の動き
9月2日 降伏文書に調印 日本の動き
11月24日 サイクロトロン2基は、米国占領軍により破壊され海洋に投棄される 理研の歩み
12月6日 大河内正敏 A級戦犯として指定、12.13巣鴨拘置所に収監、翌年4月釈放 理研の歩み
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
10月25日 大河内正敏 財団理研所長辞任 理研の歩み
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