※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
11月3日 | 日本国憲法公布(1947.5.3施行) | 日本の動き | |
11月11日 | 第4代所長 仁科芳雄 | 理研の歩み | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 過度経済力集中排除(財閥解体指令)により理研産業団解体 | 理研の歩み | |
6月 | ペニシリン(肺炎等治療薬)の培養に成功 | 理研の歩み | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | カイザー・ヴィルヘルム協会解散、マックス・プランク協会設立(ドイツ) | 世界の動き | |
3月1日 | 「財団法人理化学研究所に関する措置に関する法律」に基づき財団理研は解散、株式会社科学研究所(第1次)設立//初代社長 仁科芳雄 | 理研の歩み | |
6月26日 | ウィリアム・ショックレー、バイポーラトランジスタの特許申請 | 世界の動き | |
12月19日 | GHQ、経済安定9原則を指令 | 日本の動き | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 中華人民共和国成立 | 世界の動き | |
10月 | 湯川秀樹 ノーベル物理学賞受賞 | 日本の動き | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 国立科学財団(NSF)設立(アメリカ) | 世界の動き | |
6月25日 | 朝鮮戦争勃発 | 世界の動き | |
10月 | ストレプトマイシン(結核治療薬)の製造に着手 | 理研の歩み | |
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 仁科芳雄 没 | 理研の歩み | |
2月 | 第2代社長 阪谷希一 | 理研の歩み | |
9月8日 | サンフランシスコ講和条約署名(1952.4.28発効) 日米安全保障条約署名 | 日本の動き | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月4日 | (第1次)(株)科学研究所の研究部門と生産部門の事業を分離し、研究部門のみを継承した//(第2次)(株)科学研究所設立 初代会長 亀山直人、初代社長 村山威士 生産部門は科研化学(株)[現科研製薬(株)]となる | 理研の歩み | |
12月29日 | 小型サイクロトロン完成(3号機) | 理研の歩み | |
昭和28年(1953) | - | 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | NHKテレビ放送開始 | 日本の動き | |
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 1954.1-1957.6 神武景気 | 日本の動き |