※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 相談役大谷嘉兵衛逝去 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
3月 | 国際連盟脱退 | 内外事情 | |
7月 | パーク・デービス社上海出張所長ロビンス来日、以後毎年一回若くは二回出張所員ストークレー来日商談を行なう | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
12月1日 | 当社顧問池口慶三逝去 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
12月1日 | 長崎市金屋町に長崎駐在所設置 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
12月3日 | 元監査役荻原勘助逝去 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
- | 株式会社ハーレーダビットソンモーターサイクル販売所は資本金一五〇万円に増資し、社名をハーレーダビットソンモーターサイクル販売株式会社と改称 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
- | 大日本製薬、塩野義商店と提携して三麻会を組織しあへん、アルカロイド、塩酸塩、パンオピンを製造発売、同[昭和]十四年本事業をラヂウム製薬に譲渡して解散 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 高松市天神前二五番地に高松駐在所設置 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
10月 | 大阪市東区道修町一丁目二〇番地に大阪出張所新築移転 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
12月 | ワシントン条約廃棄 | 内外事情 | |
- | 大正三年開設した新品川工場はその後品川白煉瓦工場の一部、内国製薬跡、品川発電所の一部を買収、新作業場建設と共に旧品川工場の作業を逐次移転、ここに新品川工場を完備、旧品川工場はハーレーダビットソンモーターサイクル販売株式会社に移譲 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 監査役上中啓三退任、田口一太監査役に就任 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
6月3日 | テトロドトキシン発見者田原良純薬博逝去 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
9月 | 三共歯科薬報創刊(年四回) | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
- | ハーレーダビットソン自動自転車国産化完成し陸王号と命名 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
- | ロンドン軍縮会議開催 | 内外事情 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 塩原禎三取締役就任 | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
2月11日 | 渡辺伝右衛門の紅茶事業を継承、当社内に傍系会社三庄製茶株式会社(資本金一七万五千円、社長渡辺伝右衛門)を設立。出張所を台北市永楽町に、農場ならびに工場を台中州新高郡魚池庄猫〓[口+蘭]に置く | 社内の主要記事〔株式会社時代〕 | |
2月 | 二・二六事件 | 内外事情 |