※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 塩化ベロチン | 主要発売品 | |
- | マクリントック氏殺菌錠 | 主要発売品 | |
- | 鈴木梅太郎農博、米糠から「オリザニン」(ビタミンB1)の抽出に成功 | 内外事情 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大阪出張所を再開(大阪市東区高麗橋詰町) | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
2月21日 | 日米通商航海条約調印......関税自主権確立 | 内外事情 | |
3月29日 | 工場法公布 | 内外事情 | |
3月 | 日本橋室町店舗内の薬局を中央薬局と命名 | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | 鈴木梅太郎農博発見のオリザニンは製法特許となり、品川工場で製造、その販売を開始 | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | 来日中のべークランド博士から、同博士発明の合成樹脂ベークライトの日本特許専用権の許諾をうる | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | 大阪血清薬院の血清類取扱を開始 | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | 社内を営業第一部(医薬品関係)・営業第二部(輸出入関係)に分つ | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | オリザニン液 | 主要発売品 | |
- | ヂウレチン | 主要発売品 | |
- | アヅロール | 主要発売品 | |
- | 大阪血清薬院・血清ワクチン類 | 主要発売品 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ドイツ、ヘキスト社製駆微剤サルワルサンの日本大売捌所となる | 当社のあゆみ合資会社時代 | |
- | サルワルサン | 主要発売品 | |
- | ネマトール膠球 | 主要発売品 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 明治天皇崩御、大正と改元 | 内外事情 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 護憲運動騒擾化、各地に騒動波及 | 内外事情 |