塩野義製薬(株)『シオノギ100年』([1978])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月17日 1.明治11年3月17日、初代塩野義三郎が、大阪道修町3丁目12番地において、薬種問屋を開業しました。義三郎満24才 1878 創業
- 2.徳川時代における和漢薬の独占集荷・出荷機能は、明治維新の改革で失われましたが、当時の道修町は、なお日本最大の薬品集散市場、価格形成市場でありました。 1878 創業
- 3.当時の医療は、主として漢方医によって行われておりました。しかし、西洋医学を修めた医師も、漸次増加しつつありました。 1878 創業
- 4.取扱品目は、主として和漢薬でありましたが、硼砂、肝油、シンコニーネ等の洋薬も含まれていました。 1878 創業
- 5.仕入れは、神戸の中国人商館などや、道修町市場内取引によっていました。 1878 創業
- 6.販売は、道修町市場内取引が大部分で、少数の地方問屋との取引がありました。価格は、需要、供給の関係をもとに、売手、買手が相対し、きめられていました。 1878 創業
- 7.義三郎は、当時有力な薬種問屋を営んでいた二代塩野吉兵衛の三男で、商売の修業は、父の膝下で行われました。 1878 創業
- 8.開業資金は二代塩野吉兵衛から贈られましたが、開業当時から幾人かの資本出資者を得て、いわゆる“組合商い”という経営形態をとっていました。 1878 創業
- 9.従業員は、3人の手代と、数人の住み込み丁稚でありました。 1878 創業
- 10.当時ドイツでは、メルク、シェーリング、ヘキスト等、今も知られている諸会社が、既に製薬活動を行いつつありました。 1878 創業
- 1.西洋医学の教育が進展し、西洋医薬が普喬及するのに伴い、塩野義の洋薬取り扱いが漸増しました。 1878~1912年 明治時代
- 11.アンタチヂンの発売は、道修町市場内取引から地方問屋との取引への拡大、宣伝費が含まれた価格の設定、ディテールマン第1号の誕生等の貴重な体験を、塩野義に与えました。 1878~1912年 明治時代
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- 2.もっぱら洋薬を取り扱う方針にきりかえ、神戸の西洋人商館との取引を開始しました。 1878~1912年 明治時代
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
- 3.創業以来の大福帳を複式簿記にきりかえました。しかし帳簿は、和紙を綴じ、毛筆で記帳されていました。 1878~1912年 明治時代
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
- 4.大阪市北区相生町に、極めて小規模の作業場をつくり、カフェイン、塩化錫等の製造に着手しましたが、成功に至らず、短期間で廃止しました。 1878~1912年 明治時代
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
- 5.在日外国商館からの仕入れのほかに、ロンドン、ハンブルグの商社と、直接取引を開き、直輸入を始めました。 1878~1912年 明治時代
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
- 6.義三郎の長男塩野正太郎が大阪高商を卒業、入店しました。 1878~1912年 明治時代
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
- 7.海外における新薬開発の発展に応じ、新薬部を設けて新薬の輸入、販売を、塩野正太郎が推進しました。 1878~1912年 明治時代
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
- 9.義三郎の次男塩野長次郎が、東京大学薬学科を卒業、相生町の旧製薬作業場を再開し、製薬の試製を始めました。 1878~1912年 明治時代
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- 8.米国リリー社のゼラチンカプセルの取り扱いを始めたのは、明治42年(1909)であります。 1878~1912年 明治時代
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