大正製薬(株)『大正製薬80年史. 資料編』(1993.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸実業家一行招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
2月 大正製薬所の前身、泰山堂薬局開局。牛込区(現 新宿区)市谷左内坂町。開局者石井絹治郎 社内
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。帰一協会成立。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
4月13日 石川啄木没 業界・社会一般
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。帰一協会成立。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月30日 明治天皇崩御 業界・社会一般
9月13日 明治天皇大喪の礼 業界・社会一般
10月12日 匿名組合大正製薬所創業。牛込区市谷左内町38番地。創業者石井絹治郎 社内
- 創業時の発売品「体素」「ヘモグロビンエキス」。泰山堂薬局時代から続いている製品として「ゴット膏」「児強剤」「女神」「規那杏仁湯」 社内
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
3月31日 「売薬法」公布(医師・薬剤師以外の薬品製造・販売の禁止) 業界・社会一般
7月28日 第1次世界大戦勃発 業界・社会一般
8月 ドイツからの輸入途絶で医薬品高騰 業界・社会一般
10月 「体素」の広告、朝日新聞に掲載開始 社内
12月18日 東京駅開駅 業界・社会一般
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ運河開通博覧会のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
6月19日 「染料・医薬品製造奨励法」公布 業界・社会一般
9月 牛込区市谷田町2丁目6番地へ移転 社内
- 国産サルバルサン製造(三共・万有他) 業界・社会一般
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。日米関係委員会が発足・常務委員。理化学研究所創立委員長。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月 上原正吉入所。当時従業員6人、通いの女子作業員2人 社内
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
- 補血強壮剤「ブルトーゼ」(藤沢)発売 業界・社会一般
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
11月11日 第1次世界大戦終結 業界・社会一般
- 新社屋を小石川区(現 文京区)関口町123番地に建築し移転 社内
- 「体素」の第2次宣伝開始 社内
- 大阪支店開設。南区長堀北詰(現 中央区南船場)。支店長遠藤若次 社内
PAGE TOP