大日本製薬(株)『大日本製薬90年のあゆみ』(1987.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
12月23日 大阪製薬株式会社創業総会//本店大阪市東区道修町2丁目番外1番屋敷//資本金10万円(株式2千株)//役員取締役社長:日野九郎兵衛 取締役:田辺五兵衛、塩野義三郎、宗田友治郎、小磯吉人、小西久兵衛、上村長兵衛 監査役:小野市兵衛、武田長兵衛、谷山伊兵衛 当社の歩み
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
3月30日 阿片法公布 内外事情
5月14日 会社設立の登記完了(創立記念日) 当社の歩み
6月1日 大阪府西成郡鷺州村大字海老江に工場用地を購入 当社の歩み
7月31日 本店を大阪市東区伏見町3丁目29番屋敷に移転 当社の歩み
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
1月13日 製品の販売を開始 当社の歩み
10月28日 大日本製薬合資会社を吸収合併 当社の歩み
11月1日 社名を大日本製薬株式会社と改め〓[○+P]印、女神印の商標を引継ぐ//増資決議 新資本金13万円 当社の歩み
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月9日 新商法公布(6・16施行) 内外事情
4月15日 海老江の製薬所において開業式を行う 当社の歩み
5月31日 大阪薬種卸仲買商組合へ加盟 当社の歩み
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月4日 東京出張所を東京市日本橋区箔屋町8番地に開設 当社の歩み
2月13日 東京出張所開設披露を帝国ホテルで行う 当社の歩み
3月16日 東京出張所を東京支店と改称 当社の歩み
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月10日 粉末工場を大阪府中河内郡大戸村字芝に設置 当社の歩み
3月14日 東京支店 東京薬種貿易商同業組合に加盟 当社の歩み
10月16日 大阪製薬同業組合創立に際し同組合に加盟 当社の歩み
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
10月12日 東京支店を東京市日本橋区大伝馬町1丁目25番地に移転 当社の歩み
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
1月23日 定款変更 事業目的に「アルコールの製造販売」を追加 当社の歩み
5月26日 名古屋販売店を名古屋市京町3丁目44番地小島定七方に設置 当社の歩み
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