※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | シャウディンとホフマン(独)、梅毒スピロヘータを発見 | 業界・一般社会事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
- | エールリッヒ(独)と秦佐八郎、サルバルサンの創製に成功 | 業界・一般社会事項 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 野口英世、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功 | 業界・一般社会事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第1次世界大戦勃発 | 業界・一般社会事項 | |
8月 | 日本、対独宣戦布告(ドイツ製品の輸入途絶) | 業界・一般社会事項 | |
11月 | 岩垂亨、松原行一教授の指示でサルバルサンの合成に着手 | 当社事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 稲田竜吉、井戸泰、ワイル氏病病原体のスピロヘータを発見 | 業界・一般社会事項 | |
3月 | 岩垂亨、サルバルサンの合成に成功 | 当社事項 | |
5月 | サルバルサンの事業化を決意 | 当社事項 | |
6月 | 駆梅剤「エーラミゾール」を治療界に提供 | 当社事項 | |
6月 | 染料医薬品製造奨励法を公布 | 業界・一般社会事項 | |
8月 | 万有合資会社設立(資本金5000円、東京市麻布区富士見町16) | 当社事項 | |
8月 | 麻布の工場完成、操業開始(東京市麻布区富士見町9) | 当社事項 | |
10月 | 名古屋に出張所設置(中区東陽町5) | 当社事項 | |
11月 | 資本金1万円に増資 | 当社事項 | |
11月 | 後藤風雲堂(医療器具商)を一手販売元とする | 当社事項 | |
12月 | 北里研究所開所 | 業界・一般社会事項 | |
- | 東京株式市場暴騰、大戦景気始まる | 業界・一般社会事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 伝染病研究所を東京帝国大学に付置 | 業界・一般社会事項 | |
9月 | 工場法施行 | 業界・一般社会事項 |