万有製薬(株)『万有製薬八十五年史』(2002.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
- シャウディンとホフマン(独)、梅毒スピロヘータを発見 業界・一般社会事項
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- エールリッヒ(独)と秦佐八郎、サルバルサンの創製に成功 業界・一般社会事項
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
- 野口英世、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功 業界・一般社会事項
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月 第1次世界大戦勃発 業界・一般社会事項
8月 日本、対独宣戦布告(ドイツ製品の輸入途絶) 業界・一般社会事項
11月 岩垂亨、松原行一教授の指示でサルバルサンの合成に着手 当社事項
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月 稲田竜吉、井戸泰、ワイル氏病病原体のスピロヘータを発見 業界・一般社会事項
3月 岩垂亨、サルバルサンの合成に成功 当社事項
5月 サルバルサンの事業化を決意 当社事項
6月 駆梅剤「エーラミゾール」を治療界に提供 当社事項
6月 染料医薬品製造奨励法を公布 業界・一般社会事項
8月 万有合資会社設立(資本金5000円、東京市麻布区富士見町16) 当社事項
8月 麻布の工場完成、操業開始(東京市麻布区富士見町9) 当社事項
10月 名古屋に出張所設置(中区東陽町5) 当社事項
11月 資本金1万円に増資 当社事項
11月 後藤風雲堂(医療器具商)を一手販売元とする 当社事項
12月 北里研究所開所 業界・一般社会事項
- 東京株式市場暴騰、大戦景気始まる 業界・一般社会事項
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月 伝染病研究所を東京帝国大学に付置 業界・一般社会事項
9月 工場法施行 業界・一般社会事項
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