金子架設工業(株)『百年史』(1990.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政2年(1855) - 金子兵次郎、茂助の次男として生まれる 当社[◆印はその年の主要工事]
安政4年(1857) - 国産赤煉瓦第1号、オランダ人ハルデスが長崎飽ノ浦鎔鉄所建築用に焼成 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月 明治と改元 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
8月 イギリス人ウォートルス、銀座煉瓦街建設に着手(明10.12完成、現存せず) 業界・一般[●印は清水建設関係]
9月 横浜にガス灯点灯 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月 太陽暦実施(旧暦明治5.12.3を明治6.1.1とする) 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月 官営深川製作寮出張所(日本セメントの原点)、初めてセメントを焼成 業界・一般[●印は清水建設関係]
- このころモンケン真矢打ちの原形ともいうべき杭打法が出現 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 イギリス人コンドル、工部大学校造家学科教師として来日、西洋建築学移入 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
5月 セメント製造会社(現小野田セメント)設立 業界・一般[●印は清水建設関係]
11月 銀座にアーク灯点灯 業界・一般[●印は清水建設関係]
- 官営品川工作分局板ガラスの試験製造に着手 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
3月 建築鳶工事の事業創業 当社[◆印はその年の主要工事]
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
4月 造家学会(現日本建築学会)発足 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
10月 日本煉瓦製造会社設立(明22、わが国最初の機械成型による煉瓦を製造) 業界・一般[●印は清水建設関係]
- このころ俗称パイレンとよぶ巻揚式杭打機が使われる。蒸気力による杭打機も銀座付近の建築工事で使用された模様 業界・一般[●印は清水建設関係]
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
2月 大日本帝国憲法発布 業界・一般[●印は清水建設関係]
10月 ●〓[┐+キ]工商会設立 業界・一般[●印は清水建設関係]
- 清水組専属下請負専門工事業者となる 当社[◆印はその年の主要工事]
- わが国最初の経済恐慌始まる 業界・一般[●印は清水建設関係]
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