※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 旭硝子株式会社設立 | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
11月 | アメリカ製ジブデリック木製5馬力手巻式を第一銀行京城総支店工事の石材積み下しに使用(清水店) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
- | モンケン真矢杭打法を保土谷富士瓦斯紡績工事に採用(清水店) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日本橋丸善着工。本格的鉄骨構造ビル第1号(明42.12竣工、現存せず、清水店) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
3月 | 中央停車場(東京駅)着工(大3.12竣工 大林組)//・基礎工事に蒸気杭打機を使用(松井浅次郎)//・鉄骨建て方に軌道上を前後に移動する蒸気クレーンを製作使用。吊荷重7t、揚程70尺、180度旋回ブーム2本装備(石川島造船所) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 窓ガラス製造開始(旭硝子) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
- | 場所打ち杭のコンプレッソルパイル工法(フランス)を日比谷の愛国生命ビル工事に採用(東洋コンプレッソル) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三井物産横浜支店着工。本格的鉄筋コンクリート造ビル第1号(明治44.8竣工、直営) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
- | 鉄筋コンクリート杭打ちこみにスチームハンマーを使用。海軍造兵廠材料倉庫工事(大倉土木) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 三越呉服店新館建築工事にシートパイルを採用(横河工務所) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 明治天皇崩御、大正と改元 | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ◆明治天皇青山大葬場殿 | 当社[◆印はその年の主要工事] | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第1次世界大戦勃発(大7.11終結) | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
12月 | 中央停車場(東京駅)竣工 | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
- | 杭打用行灯櫓を初使用(帝国製麻) | 当社[◆印はその年の主要工事] | |
- | コンクリートタワーを初使用(浅野セメント) | 当社[◆印はその年の主要工事] | |
- | ◆昭憲皇太后代々木大葬場 | 当社[◆印はその年の主要工事] | |
- | ●兼喜会解散 | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
- | アメリカのペデスタルパイル工法を技術導入(東洋コンプレッソル)。小石川電話分局工事(大5)に採用 | 業界・一般[●印は清水建設関係] | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大倉組土木部(大成建設)が民間で初めてビサイラス・スチームショベルを輸入。山陽製鉄所建設工事に使用 | 業界・一般[●印は清水建設関係] |