金子架設工業(株)『百年史』(1990.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- スチームハンマーを杭、シートパイル打ちに使用(聖路加国際病院) 当社[◆印はその年の主要工事]
- ◆東京女子大学図書館、国分商店、聖路加国際病院、立教高等女学校、三越新宿支店、富士瓦斯紡績、山梨県庁舎、根津銅像建立、浅草松屋 当社[◆印はその年の主要工事]
- モーターホイスト、電動トロリーホイスト初使用(日本銀行) 業界・一般[●印は清水建設関係]
- 丸型函式ケーソン初使用(日本銀行) 業界・一般[●印は清水建設関係]
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
2月 合資会社金子組設立(資本金3,000円) 当社[◆印はその年の主要工事]
2月 金子兵次郎、清水組本店職方組合副会長に就任 当社[◆印はその年の主要工事]
9月 満州事変勃発 業界・一般[●印は清水建設関係]
- ◆白木屋第2期、忍岡尋常小学校、汽車製造会社工場、三池窒素工業所、三池染料工業所、清水組本社 当社[◆印はその年の主要工事]
- 山留めにシートパイル、鉄骨切梁使用。日本銀行本店増築工事(清水組) 業界・一般[●印は清水建設関係]
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
9月 金子マサ死去 当社[◆印はその年の主要工事]
12月 白木屋大火 業界・一般[●印は清水建設関係]
- スチフレッグデリック(三脚)を使用(日本銀行本店) 当社[◆印はその年の主要工事]
- ◆ライオン歯磨工場、皇子御修学所、安田貯蓄銀行、日本銀行第2期 当社[◆印はその年の主要工事]
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
- ◆大日本自転車業平橋工場、宮内省庁舎 当社[◆印はその年の主要工事]
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
7月 大同コンクリート工業設立。わが国最初の工場制作によるコンクリート杭を製造。国鉄成田駅工事に採用 業界・一般[●印は清水建設関係]
12月 金子兵次郎、兼喜会幹事に就任 当社[◆印はその年の主要工事]
12月 ●清水組本店職方組合〓[┐+キ]会を兼喜会と改称(清水組公認) 業界・一般[●印は清水建設関係]
- ◆東京電気、東郷元帥国葬場 当社[◆印はその年の主要工事]
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
- ◆明治製糖士別工場、日本銀行第3期 当社[◆印はその年の主要工事]
- 日本製鉄八幡製鉄所(現新日本製鉄)、シートパイルYSPI型からV型までの生産体制を確立 業界・一般[●印は清水建設関係]
PAGE TOP