※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文久2年(1862) | - | 「横浜港見聞誌」にランプ使用と推測される記事あり | 国内関係 |
- | 生麦事件 | 国内関係[一般] | |
- | フランス人ルドルフ・ルショー、初めてダイヤモンド・ボーリングを使用 | 国外関係 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | バクー油田、年産五、四〇〇トンを記録 | 国外関係 | |
- | リンカーン、奴隷解放を宣言 | 国外関係[一般] | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 石油パイプライン、ペンシルヴァニア州ピッツバーグに敷設、鋳鉄製パイプ | 国外関係 | |
- | タンカー、ペンシルヴァニア州に初めて使用さる | 国外関係 | |
- | 南北戦争終る | 国外関係[一般] | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 伊豆神子元島など八ヵ所に灯台を、武蔵国本牧など二ヵ所に灯台船を建設 | 国内関係 | |
- | 汽船初めて品川・横浜・大阪間を運航 | 国内関係[一般] | |
- | ジュネーブに第一回国際労働者協会大会 | 国外関係[一般] | |
- | アメリカ、ロシアからアラスカを購入 | 国外関係[一般] | |
- | ノーベル、ダイナマイトを発明 | 国外関係[一般] | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | スエズ運河開通 | 国外関係[一般] | |
- | 長崎在住の中国人初めて灯油を輸入 | 国内関係 | |
- | 中川屋嘉兵衛らアメリカ人ハレーを雇って越後油田調査着手、未了 | 国内関係 | |
- | 版籍奉還、東京へ遷都 | 国内関係[一般] | |
- | 東京・横浜間に電信開通 | 国内関係[一般] | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 越後村松浜(北蒲原郡)の平野安之丞、アメリカ人・医師シンクロートンを招いて越後蒲原の黒川油田を調査 | 国内関係 | |
- | 工部省設置 | 国内関係[一般] |