※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永4年(1851) | 4月14日 | 創業者雲平、久留米市(当時御井郡)米屋町に倉田清左衛門・マチの末子として出生、清左衛門、定七、清兵衛、のぶ、藍珪の四兄一姉がある//代々槌屋と称し、かつては米穀・呉服・両替業を営んでいた | 当社沿革 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月8日 | 幕府、外国奉行を設置 | 参考事項 | |
9月 | 安政の大獄 | 参考事項 | |
- | 雲平、父を失う(8歳) | 当社沿革 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月5日 | 池田屋事件 | 参考事項 | |
10月25日 | 第1次長州征伐 | 参考事項 | |
- | 雲平、ゴザ商近江屋の養子となる(14歳) | 当社沿革 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 明治天皇(睦仁親王)即位 | 参考事項 | |
10月14日 | 徳川慶喜、大政奉還を上奏 | 参考事項 | |
12月9日 | 王政復古の大号令発布 | 参考事項 | |
- | 雲平、養家の了解を得て実家に戻る(17歳)//有馬藩の御用長物師三谷、長谷川について衣服裁縫の技術を習得し、実家の一室で裁縫をはじめたが、同業者が多いために間もなくやめ、将来性のある「たび」を生業にする決心をした | 当社沿革 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 「日の丸」を国旗に制定 | 参考事項 | |
2月 | 雲平、長崎へ行き小川源助に師事し「たび」の製法を学ぶ(20歳) | 当社沿革 | |
3月15日 | 西村勝三が、築地入舟町に伊勢勝製靴工場創立(現在、靴の記念日) | 参考事項 | |
9月19日 | 平民に姓(氏)の呼称を許可 | 参考事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月12日 | 鉄道開通式挙行、天皇、新橋および横浜停車場に行幸 | 参考事項 | |
9月 | 雲平、修業を終え、師よりのせん別金2円のうちから50銭を旅費にあて、久留米に戻る | 当社沿革 | |
9月 | 長兄宅の一室で「たび」製造をはじめた | 当社沿革 | |
9月 | 頼母子講で得た50円で原料を買い入れたが、盗難にあい、いっさいを失う | 当社沿革 | |
10月4日 | 官立富岡製糸場開業 | 参考事項 |