※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月10日 | 日本銀行開業 | 参考事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 東京電灯会社、鹿鳴館に初めて営業用電灯点火 | 参考事項 | |
10月19日 | 雲平次男、泰蔵生まれる | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
12月25日 | 保安条例公布・施行 | 参考事項 | |
- | いわゆる鹿鳴館時代、上下をあげて欧風にそまり、洋服を着るものもしだいに多くなった//この風潮に着目した雲平は、「たび」のほかに革靴と馬具の製造に着手。業績はいずれも好調をつづけた | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
- | 前年(明治19年)からわが国初のゴム工業、土谷ゴム製造所操業開始 | 参考事項 | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
4月27日 | 雲平三男、恒輔生まれる | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
7月1日 | 絹糸布輸出税免除実施 | 参考事項 | |
7月25日 | 日清戦争はじまる | 参考事項 | |
9月17日 | 黄海の大海戦 | 参考事項 | |
- | 本店西隣の土地を購入、店舗を拡張、本店裏に工場を新築 | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
- | 業界初の試みのミシンを採用する。ドイツ製青貝印の素縫い手回し式2台、ならびに甲縫い用足ぶみ式3台 | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
- | 吉田兄弟によって冷加硫法によるゴム製品の製造に成功 | 参考事項 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | 日清講和条約締結(下関条約) | 参考事項 | |
4月23日 | 独・露・仏三国干渉(遼東半島の還付) | 参考事項 | |
6月18日 | 生糸検査所法公布(明治29年4月1日施行) | 参考事項 | |
10月 | 台湾征討 | 参考事項 | |
- | 20年以来、馬具と革靴の製造をつづけてきたが、資金回収が遅いため、川上義信、長男金蔵(14歳)の進言にもとづき、皮革部門の設備、器具、販売網のすべてを佐野屋米穀店に譲渡、たび専業に戻る | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
- | 原料布を重ねて裁断する大村式裁断法を導入 | 当社沿革[社名:つちやたび店] | |
- | 森川善三郎、足袋部主任を辞任、川上義信支配人に就任 | 当社沿革[社名:つちやたび店] |