※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 古河鉱業会社は横浜電線製造株式会社(古河電気工業株式会社の前身)の株式六〇万円を買取り古河側より取締役として中島久万吉、桜井貢吉、監査役として中田敬義経営に参加す | 参考事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | ダンロップ護謨(極東)株式会社設立 | 参考事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 明治天皇崩御、大正と改元 | 参考事項 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米国ビー・エフ・グッドリッチ会社はバンダム氏を支店長として東京丸ノ内(元郵船ビル内)に営業所を設け自社品の輸入販売を営む | 参考事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第一次世界大戦勃発す | 参考事項 | |
- | 横浜電線製造株式会社常務取締役桜井貢吉病気のため退任し、古河合名会社販売部長中川末吉後任に選ばる | 参考事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 横浜電線はゴム工業に着目してこれが専門工場の設立を計画し、一方グッドリッチ会社もまた東洋に工場建設を考慮中なりしため、両者間に共同経営についての折衝進捗し工場建設の気運濃厚となる | 参考事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 東京護謨工業株式会社設立 | 参考事項 | |
6月 | 横浜電線製造株式会社技師小室泰治氏はゴム製品製造研究のため米国グ社へ派遣さる | 参考事項 | |
6月 | 東京古河銀行設立 | 参考事項 | |
9月 | 米国グッドリッチ会社副社長エッチ・イー・レーモンド氏来日し古河との間に会社設立に関し折衝を重ねたる結果完全に意見一致し覚書を交換す | 当社関係事項 | |
9月 | 金輸出禁止さる | 参考事項 | |
9月 | 暴利取締令公布 | 参考事項 | |
10月 | 第一回発起人会を東京市に開催し横浜護謨製造株式会社(資本金二百五十万円)創立さる | 当社関係事項 | |
10月 | 本社を横浜市裏高島町二丁目六番地ノ二横浜電線製造株式会社内に置く | 当社関係事項 | |
11月 | ロシヤに革命勃発ソヴエト新国民内閣組織さる | 参考事項 | |
11月 | 東京瓦斯電気工業株式会社は国産自動車製造に着手 | 参考事項 | |
11月 | 古河商事株式会社設立 | 参考事項 | |
12月 | グ社日本支店(東京、大阪、小倉)の営業を継承し、当社東京、大阪両販売店並びに小倉出張所とす | 当社関係事項 | |
12月 | 横浜電線製造株式会社より小室泰治氏を技師長として迎う | 当社関係事項 |