※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 工場位置を山口県厚狭郡西須恵村大字小野田新開作三十一の割(現在の本社所在地)に定め、着工と共に工場敷地の東北(現在の山手倶楽部附近)に煉瓦製造場を設け直に製造を開始す。 | 我社関係 | |
11月 | 松方大蔵卿不換紙幣の整理に着手す。 | 一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | パナマ運河起工。 | 一般事項 | |
3月 | 株主の総集会を開き会社の規則を制定、社名を「セメント製造会社」として発起人総代笠井順八より原山口県令に設立認可を申請す。 | 我社関係 | |
4月 | 農商務省開設。 | 一般事項 | |
5月 | 三日附原県令より会社設立認可の指令あり、此の日を創立記念日とす。本邦に於ける民間セメント事業会社の濫觴である。 | 我社関係 | |
6月 | 笠井順八社長に選任せらる。 | 我社関係 | |
6月 | 工部省深川工作分局セメント工場増設工事完了。 | 一般事項 | |
10月 | 明治二十三年を「国会開設の期」とする詔諭下る。紙幣整理を原因とする不景気始まる(十九年兌換開始頃迄続いた)。 | 一般事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 愛知県渥美郡田原二ツ坂に東洋組セメント工場建設(三河セメントの前身) | 一般事項 | |
10月 | 日本銀行創立。 | 一般事項 | |
11月 | 大阪市西成郡川南村に川南セメント工場建設(大阪セメント株式会社の前身)。 | 一般事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 焼窯(徳利窯)四基落成。 | 我社関係 | |
4月 | 有帆川泥土、豊前恒見産石灰石を原料としてセメント製造に着手す。 | 我社関係 | |
4月 | 浅野総一郎工部省深川工作分局セメント工場を借受く。 | 一般事項 | |
8月 | 工部省大技長宇都宮三郎来社セメント製造に付実地指導す。 | 我社関係 | |
9月 | 製品出来、地元建築請負業中村某が最初の売先であった。 | 我社関係 | |
9月 | 高辻侍従本社工場巡覧さる。 | 我社関係 | |
12月 | 兵庫造船局より千弐百樽(約二〇〇瓲)の引合あり、之が最初の大同引合である。 | 我社関係 | |
12月 | 製品八十樽を住吉丸にて兵庫向積出す、之が帆船積出の最初の記録である。 | 我社関係 |