小野田セメント(株)『小野田セメント百年史』(1981.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
11月 ・大阪市西成郡川南村に川南セメント工場建設(⇒明19・―) 関連事項
- ・工場建設着工、朝鮮事変のため機械類延着し、完工をみず越年となる 当社事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
3月 ・焼窯(徳利窯)4基完成 当社事項
4月 ・浅野総一郎、工部省深川工作分局のセメント工場を借受け浅野工場と称す(⇒明31・2) 関連事項
8月 ・有帆川泥土、恒見産石灰石を原料としセメント製造に成功 当社事項
9月 ・最初の販売先として地元建築請負業中本藤吉にセメント1樽出荷 当社事項
- ・明治16、17年頃鈴木辰次郎、大阪市安池川口八幡屋新田にセメント工場を建設、大阪川口セメント製造所と称す(⇒明28・1) 関連事項
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
4月 ・御貸金延期請願書、御貸金抵当入換願を提出 当社事項
7月 ・開業式挙行 当社事項
7月 ・浅野総一郎、深川工作分局セメント工場の払下げを受ける 関連事項
10月 ・赤間関に用達所(最初の直営営業所)を設置 当社事項
10月 ・防長教育会設立 関連事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
11月 ・第百十国立銀行と当座取引開始 当社事項
- ・橋本辰三郎、東京市深川区富川町河岸にセメント製造所を設立(⇒明21・1) 関連事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
10月 ・金禄公債証書による出資形式から現金出資形式に変更 当社事項
- ・大阪川南セメント工場改組し、大阪セメント(株)と称す(現大阪セメントとは別会社、⇒大3・11) 関連事項
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
4月 ・資本金5万7150円全額払込済の会社形態整う 当社事項
6月 ・京岐商会田村半助、愛知県愛知郡熱田町白烏にセメント工場を建設(⇒明21・4) 関連事項
7月 ・ドイツ人ブリーグレップを雇入れ、乾式法セメント製造機械をドイツに発注 当社事項
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月 ・橋本辰三郎経営のセメント工場は改組し、日本セメント(株)と称す、新たに東京市深川区猿江町小名木川五本松に工場を建設(現日本セメントとは別会社、⇒昭14・10) 関連事項
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