※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | ・セメント市況悪化し同業者間で共同販売会社設立の計画起こる | 関連事項 | |
5月 | ・東京市深川区釜山堀に東京セメント(資)設立(⇒明37・1) | 関連事項 | |
6月 | ・三河セメント会社改組し、三河セメント(株)と称す(⇒昭15・5) | 関連事項 | |
8月 | ・賀田組と台湾に於ける委託販売契約締結 | 当社事項 | |
9月 | ・セメント同業8社にて全国一手販売を目的とする共同セメント(資)設立(明32・5解散) | 関連事項 | |
10月 | ・従業員の一部にわが国初の8時間3交替制を実施 | 当社事項 | |
- | ・ディーチュ窯2基完成(下期) | 当社事項 | |
- | ・石川県七尾港に北陸セメント(株)設立(終末不明) | 関連事項 | |
- | ・吾妻セメント(株)設立、東京の天明セメント(株)を買収(終末不明) | 関連事項 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | ・40kW直流発電機を設置し工場内一部に初めて電灯照明行われる | 当社事項 | |
4月 | ・河辺国作ら愛知県渥美郡野田村に仁崎セメント(株)設立(明33・4解散) | 関連事項 | |
5月 | ・旅順方面の販売を長崎田原商店に委託 | 当社事項 | |
- | ・原料調合に自動連結天秤採用(上期) | 当社事項 | |
- | ・浅野社門司工場にわが国初のチューブミル設置 | 関連事項 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ・日本ポルトランドセメント業技術会設立 | 関連事項 | |
3月 | ・小林春一郎、愛知県田原町に巴江セメント(株)設立(操業に至らず解散) | 関連事項 | |
4月 | ・本社新工場にて落成式挙行 | 当社事項 | |
- | ・本社新工場焼窯(ディーチュ窯8基)完成(上期) | 当社事項 | |
- | ・従業員教育のための夜学会を開設、退職金制度新設 | 当社事項 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・セメント1樽の容量を400ポンドより380ポンドに変更 | 関連事項 |