※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | ・京阪財界に恐慌起こり銀行取付けを受く | 関連事項 | |
5月 | ・山陽鉄道神戸・下関間開通、シベリア鉄道南満州支線営業開始 | 関連事項 | |
7月 | ・臨時株主総会にて、5名の委員による会社財務整理委員会設置を決定 | 当社事項 | |
10月 | ・木津川社解散し北村精造の個人経営となる(⇒明40・1) | 関連事項 | |
11月 | ・専務取締役河北勘七経営代表者となる | 当社事項 | |
12月 | ・三井物産(名)と一手販売契約締結 | 当社事項 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・当社初の社債40万円発行 | 当社事項 | |
2月 | ・呉出張所を廃止し、以降5月までに他出張所も廃止す | 当社事項 | |
9月 | ・鈴木辰次郎、岡山社を譲受け山陽セメント工場と称す(⇒明38・2) | 関連事項 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・高知県土佐郡潮江村所在小松竜太郎のセメント工場は改組し、銭屋セメント(名)を設立(明38・4解散) | 関連事項 | |
7月 | ・わが国初の鉄筋コンクリート工事として琵琶瑚疏水橋梁に当社セメントを使用 | 当社事項 | |
11月 | ・資本金減資(100万円→60万円)を決議し、新社債50万円の発行を決定 | 当社事項 | |
12月 | ・浅野社深川工場にわが国初の回転窯設置 | 関連事項 | |
- | ・セメント安泰性に関する「五十年試験」に着手 | 当社事項 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・定時株主総会は調査委員報告による経営改善策を承認 | 当社事項 | |
1月 | ・日本社は東京社の工場を買収 | 関連事項 | |
2月 | ・日露戦争始まる | 関連事項 | |
- | ・東京深川の鈴木セメント製造所改組し鈴木セメント(名)を設立(⇒大15・7) | 関連事項 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ・わが国初のセメント規格「日本ポルトランドセメント試験方法」制定 | 関連事項 | |
2月 | ・筒井正行、山陽社工場を買収(⇒明39・8) | 関連事項 |