小野田セメント製造(株)『小野田セメント製造株式会社創業五十年史』(1931.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)〔58歳〕 渋沢関係略年譜
8月 賀田組との間に、台湾に於ける一手販売契約を結ぶ。
11月 財界の不況益々深刻を極め、此月遂に出荷皆無に終る。
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
4月 天津・膠州湾方面へ新に販路を開拓す。
5月 旅順方面の一手販売を長崎田原商店に託す。
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 日本ポルトランドセメント業技術会組織さる。
4月 西工場落成式を挙行、毛利元昭公、井上馨侯、和田維四郎、仙石貢等の諸名士臨場。
6月 支那に義和団事件起る。(十二月媾和成立)
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。日本女子大学校開校・会計監督(後に校長)。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
5月 山陽本線神戸下関間全通。
6月 京釜鉄道会社成立◎此年戦後第二次の大反動起る。
7月 臨時総会を開き、財務整理につき委員五名を挙げて調査せしむ。
11月28日 株主協議会、二十九日臨時総会を開き整理委員の報告を是認し、尚ほ社長笠井順八退き後任に河北勘七選任せらる。
12月21日 三井物産との間に一手販売契約成る。
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月 日英同盟締結さる◎社債四十万円成立。
2月 呉出張店を廃止し、続いて三月以降五月までの間に神戸、佐世保、赤間関、東京、浦塩の各出張店を廃止し、三井物産に事務を引継ぐ。
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
11月 臨時総会を開き新社債五十万円募集及び資本金百万円を六十万円に減資すること等を議定す。
12月 京釜鉄道速成の勅令発布さる。
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月 日露開戦、市況再び沈静に陥る。◎此年我社の大口契約物は、下関要塞、三池築港、朝鮮京釜鉄道等であつた。
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
5月 日露休戦(九月媾和成立)市況依然改らず、各社在庫品多きに苦しむ。
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
1月 社長河北勘七退き、福原栄太郎社長となる。
2月 原料山吉田山買添。
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