※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 平壌支社設立登記と同時に工事に著手す。 | ||
9月 | 金輸出禁止。 | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | シベリヤ出兵。 | ||
5月 | 平壌支社専用鉄道工事竣工、近くに勝湖里駅を設け一般貨客取ひ開始、後に総督府に譲渡す。 | ||
7月 | 笠井真三社長就任。 | ||
8月 | 米価騰貴、所請米騒動起る。 | ||
11月 | 欧洲大戦休戦条約成り、市場混乱を呈す。 | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 支那各地に日貨排斥起る。 | ||
6月 | 米国金輸出解禁。 | ||
11月 | 戦後の大投機熱高潮。 | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 株式暴落し、財界大反動の端を開く。 | ||
4月 | 各地の銀行取付に逢ひ、破綻続出。政府は財界救済を声明す。 | ||
5月 | 戦乱の為め遅延に遅延を重ねた平壌支社工場前年末漸く竣工、九日創業紀念祝賀会を挙行◎全工場を八時間作業とす(人夫を含む) | ||
6月 | 美禰鉄道国有となる。 | ||
7月 | 本社工場を拡張し、第二回転窯建設設備を行ひ、同時に大連支社工場をも拡張して年産五万二千瓲の計画を立つ。 | ||
11月 | 回転窯の余熱利用装置完成。 | ||
12月 | 技師朝枝信太郎米国へ留学。 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 郡制廃止公布(十二年四月一日より施行)◎暴利取締令出づ。 | ||
12月 | 技師朝枝信太郎米国より帰社。 | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 第二工場第二回転窯の設備を終り、直に製造を開始す。 |