※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 船積包装新設備完成、潮時の如何に拘らす積出し自由となる。 | ||
12月 | 三重県藤原山一帯の原料山を買収し直に出張所を開設す。 | ||
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 工事中の本社事務所新築落成、二十四日移転。 | ||
8月 | 三重県四日市関ケ原間の三岐鉄道の資本金六百万円の三分の一引受決定。藤原工場予定地と密接の関係があるからである。 | ||
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 定時総会に於て中央セメント株式会社合併の件を決議し、合併時期を三月二十日とし、名称を八幡工場とすることになつた。 | ||
4月 | 臨時総会に於て、三重県藤原、岡山県阿哲及び朝鮮聞慶に工場を新設することを決議した。 | ||
5月 | 川内支社工場竣工し、二十六日盛大なる開業式を挙行す。 | ||
7月 | 浜口内閣の緊縮政策発表。 | ||
8月 | 阿哲出張所を開設し同時に建設工事に着手す。 | ||
11月 | セメント聯合会の存続期間満了したが、更に昭和九年十一月まで延長に決す。//◎金解禁の時期を五年一月十一日とする旨発表された。 | ||
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 金解禁実施、銀塊相場連日新安値を現はす。 | ||
5月 | セメント聯合会は限産五割一分半を決定、未曾有の操短時代を現はす。 | ||
6月 | セメント聯合会は七八両月に於て、内地需要に対応する既定限産率五割一分五厘の外五分二厘の臨時減産を行ふことに決定。 | ||
9月 | 九州十日会組織され、十月一日より九州一円各社の出荷比率を協定実行することになつた。之を動機として、関東、関西、東北等の各地に続々協調会組織され、穏健なる市価維持に努む。 | ||
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月3日 | 創業五十年に達す。 |