※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
1月6日 | 株式会社熊谷組が発足した。創立総会を当社本店で開催、本社所在地福井市豊島上町一、資本金四十万円とし(株主数二十名)、代表取締役社長に熊谷三太郎、取締役に熊谷太三郎、牧田甚一、竹内善三郎、宮川順三郎、監査役に田辺捨士、宇隨正三が就任した。また従来の東京における事務所を営業所に、名古屋における飛島組出張所を当社の出張所とした。 | [当社] | |
1月 | 秋田県で東北振興電力株式会社の玉川生保内《おぼない》発電所玉川取水路工事(一、一二一、九九〇円)を請負った。 | [当社] | |
8月 | 三信鉄道天竜山室駅付近に熊谷三太郎みずから刻した「三信鉄道建設工事殉職碑」を建立した。 | [当社] | |
10月 | 宮崎県において同県の小丸《おまる》川川原《かわばる》発電所水路工事(三、〇六二、五八〇円)を請負った。 | [当社] | |
11月 | 秋田県における東北振興電力株式会社の子吉《こよし》川郷内《ごうない》発電所第一工区工事(一、三三〇、一三〇円)を請負った。 | [当社] | |
11月 | 関谷正慶が入社し、東京の営業所に勤めることになった。 | [当社] | |
12月15日 | 資本金を四十万円増資して八十万円にした(株主数二十名)。 | [当社] | |
12月 | 技師長に笠井通義を招聘した。 | [当社] | |
12月 | 熊谷報謝財団を解散した。 | [当社] | |
- | 第一期受注工事高(昭和十三年一月十五日―同年十二月三十一日)//土木 五、五八八、〇〇〇円(九八%)//建築 九三、〇〇〇円(二%)//計五、六八一、〇〇〇円(一〇〇%) | [当社] | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 『社則』と題して次のような社員の心得三箇条を熊谷社長みずから書し、各現場の事務所に掲げさせた。//社則//一 利益ヲ挙ント欲セハ先ツ信用ノ昂揚二努メラレタシ//一 工事施工ニ当リテハ親切ヲ旨トシ得意先ノ不安ノ除去ニ努メラレタシ//一 相互ニ共存共栄ヲ基トシ一致協カシテ業ヲ励ミ成績向上ニ努メラレタシ//昭和十四年元旦//熊谷三太郎 | [当社] | |
1月20日 | 臨時株主総会を福井市の本社で開催し、第一期営業報告書を付議承認し、取締役一名増員につき選挙を行ない、笠井技師長が選任された。 | [当社] | |
3月10日 | 飛島組取締役会長飛島文吉が死去した。享年六十四歳であった。十三日東京、十七日福井市にて葬儀が執行された。福井における葬儀には熊谷社長が葬儀委員長をつとめた。 | [当社] | |
4月 | 日本発送電株式会社が設立された。 | [当社] | |
5月 | 長野県における日本発送電株式会社の王滝《おおたき》川常盤《ときわ》発電所水路工事(三、六五八、三〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
6月 | 青森県における東北振興電力株式会社の奥入瀬《おいらせ》川十和田発電所水路第二工区工事(六、七四七、〇〇〇円)を請負った。 | [当社] | |
9月10日 | 熊谷社長が福井県の貴族院多額納税議員選挙に当選した(二十九日、貴族院議員に任命された)。 | [当社] | |
10月21日 | 東京営業所で臨時株主総会を開催し、定款を変更して取締役会長および社長各一名を置く件を決議した。 | [当社] | |
11月 | 福井県における日本発送電株式会社の九頭竜《くずりゅう》川市荒《いちあら》川発電所水路第三工区工事(四、二五四、五〇〇円)を請負った。 | [当社] | |
12月27日 | 応召中の宇隨監査役が召集解除で帰還した。 | [当社] |