※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 深川セメント製造所開業 | 一般主要事項 | |
5月 | 東京瓦斯局、府営として開業(明18・払下、東京瓦斯会社設立) | 一般主要事項 | |
- | 伊勢勝白煉瓦製造所設立(現品川白煉瓦(株)の前身) | 一般主要事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 石川島平野造船所開業(明26・(株)東京石川島造船所、昭20・石川島重工業、昭35・石川島播磨重工業と改称) | 一般主要事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | セメント製造会社設立許可(明24・小野田セメント製造(株)改組) | 一般主要事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 硫酸瓶製造会社設立(明27・現、大阪窯業(株)改組) | 一般主要事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 日本硝子会社設立 | 一般主要事項 | |
12月 | 浅野セメント開業(明45・(株)改組、昭22・日本セメントと改称) | 一般主要事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 品川硝子製造所西村勝三へ払下 | 一般主要事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 釜石鉱山田中製鉄所設立(大13・釜石鉱山(株)(三井経営)、昭9・日鉄合同参加、昭25・富士製鉄となる) | 一般主要事項 | |
7月 | 品川白煉瓦製造所と改称(深川区より品川へ移転) | 一般主要事項 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大阪窯業(有限責任)、堺工場新設 | 一般主要事項 | |
4月 | (株)島田硝子製造所設立 | 一般主要事項 | |
- | 広瀬大阪耐火煉瓦製造所設立(後、品川白煉瓦日生工場及近畿窯業となる) | 一般主要事項 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 門司セメント会社設立 | 一般主要事項 | |
4月 | 貞徳舎耐火煉瓦工業設立(昭24・(株)組織) | 一般主要事項 | |
7月 | 日本舎密製造会社設立(大8・日本舎密肥料、大9・日本人造肥料に合併の上、日本化学肥料(株)と改称) | 一般主要事項 | |
7月 | 東海道本線全通(昭2・複線化完了) | 一般主要事項 | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 愛知セメント(株)設立(大14・小野田セメントに合併) | 一般主要事項 | |
9月 | 東北本線全通 | 一般主要事項 |