※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 広瀬金七名義で福島県石城郡四倉町(現・いわき市四倉町)にセメント工場建設用地36,960m2(11,200坪)を買収 | 磐城セメント | |
4月 | 本社を大阪市東区島町へ移転 | 大阪窯業 | |
6月 | 関清英、茨城県多賀郡高鈴村助川(現・日立市)に助川セメント製造所設立(後の常陸セメント(株)。現・日立セメント(株)) | 業界・社会一般 | |
10月 | 浅野セメント、生灰焼成法の特許を得て回転窯に応用 | 業界・社会一般 | |
11月20日 | 東京商工銀行支払停止(以後明41.8.にかけ50余の中小銀行で支払停止・取付け続出) | 業界・社会一般 | |
11月29日 | 横浜市港町(現・中区港町)の浜港館において創立総会を開催し、磐城セメント株式会社設立(当社創立記念日)、吉永仁蔵初代社長に就任 | 磐城セメント | |
12月13日 | 会社設立登記 | 磐城セメント | |
12月 | 嘱託岡田万次を技師長に任命、四倉工業所の建設本格化 | 磐城セメント | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 八茎鉱山石灰石運搬のため玉山~四倉工業所間に馬車軌道完成 | 磐城セメント | |
8月 | (旧)日本セメント八代工場、長さ38.10m(125feet)の回転窯設置 | 業界・社会一般 | |
9月19日 | 四倉工業所竣工、試運転開始(諸機械スチームエンジンにより稼動)、回転窯(長さ30.48m〈100feet〉)による日本最初の原石焼成法に成功 | 磐城セメント | |
10月 | 四倉工業所操業開始 | 磐城セメント | |
11月28日 | 「磐城セメント」商標登録 | 磐城セメント | |
11月 | 川崎銀行より安部幸兵衛・岩崎清七の個人保証により15万円借入れ(当社初の銀行借入れ) | 磐城セメント | |
12月1日 | 福島県石城郡平町(現・いわき市)の諸橋定太郎・明智浅吉と最初の特約販売店契約締結 | 磐城セメント | |
12月30日 | 本社を東京市京橋区山下町23番地(現・中央区銀座6丁目4番地)へ移転(旧本社事務所は横浜出張所となる) | 磐城セメント | |
12月 | 本社を大阪市北区中之島へ新築移転 | 大阪窯業 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
5月20日 | 八茎鉱山~玉山間石灰石運搬用架空索道の動力として水力原動ペルトン水車設置の福島県知事認可 | 磐城セメント | |
5月 | 小野田セメント製造、中国・東北部に大連支社工場完成 | 業界・社会一般 | |
10月 | 日本ポルトランドセメント同業会設立 | 業界・社会一般 |