※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | ウィーン万国博覧会開催(→11.2)、明治政府の音頭で陶磁器、美術工芸品を出品、好評を博す | 一般事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ウィーン万博派遣技術伝習生帰国、製陶用直炎式円窯、洋風上絵付け、石膏型などを伝える | 一般事項 | |
- | 香蘭社(佐賀県有田町)設立 | 一般事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | スタンダード社(アメリカ)設立 | 一般事項 | |
- | トワイフォード社(イギリス)が総陶器製の洗出式便器を初めて製作 | 一般事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 森村市左衛門、弟豊とともに直輸出業森村組を創設 | 当社関連事項 | |
5月10日 | アメリカ独立100年記念フィラデルフィア万国博覧会開催(→11.10) | 一般事項 | |
9月 | 大倉孫兵衛、森村組に参加 | 当社関連事項 | |
11月 | 森村豊、佐藤百太郎と共同で雑貨商日の出商会(ニューヨーク)を開設 | 当社関連事項 | |
- | 米人スミス、便器に排水用ゼット孔(噴孔)を用いる水洗便器を製作(特許取得) | 一般事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 西南戦争 | 一般事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 森村豊、佐藤百太郎との共同経営を解消、日の出商会を継承 | 当社関連事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 精磁会社設立(佐賀県有田町) | 一般事項 | |
- | 村井保固、日の出商会に参加 | 当社関連事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 森村市左衛門渡米(陶磁器輸出の有望性を確信) | 当社関連事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 日の出商会、森村ブラザースと改称 | 当社関連事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月10日 | 日本銀行開業 | 一般事項 | |
10月 | 森村ブラザース、小売業から卸売専門業へ営業転換 | 当社関連事項 | |
12月 | 森村ブラザースからフランス製コーヒー茶碗届き、瀬戸の川本兄弟に製作を依頼(瀬戸窯元との直接取引開始) | 当社関連事項 | |
- | 米人ワーリング、サイホン式便器を製作 | 一般事項 |