日本碍子(株)『日本碍子株式会社三十年史』(1949.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
10月25日 当社に於て定時株式総会を開く
10月 所有地の内呼続町字蛇塚所在地五三四坪を売却
12月17日 大倉孫兵衛翁逝去
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
3月22日 山階宮藤麿王、萩麿王、茂麿王の三王子殿下御来社
4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役全員任期満了のため改選の結果大倉和親、森村開作、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉の諸氏再選 取締役二名増員選挙の結果江副孫右衛門、中村賢之助の二氏当選監査役一名補欠選挙の結果、星野恵助氏当選
7月 平和記念東京博覧会に出品し名誉賞牌を受く
10月1日 大阪出張所開設(大阪市東区今橋二丁目信銀ビル内)
10月25日 当社内に於て定時株主総会を開く
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月5日 海外視察員として米国に派遣の加藤薫、中村孝両氏横浜出帆
4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 監査役田中幸三郎、星野恵助両氏満期に付改選の結果何れも再選
7月28日 大阪出張所移転(北区堂島堂島ビル内)
8月 海外視察員加藤薫氏米国より帰朝
9月1日 関東地方大震災
9月 海外視察員中村孝氏米国より帰朝
10月25日 当社内に於て定時株主総会を開く
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く
4月 所有土地の内、呼続町字蛇塚所在三、七二五坪並に同町字二野所在、五〇三坪を売却
9月25日 当社内に於て定時株主総会を開く
9月 作業縮小のため約六〇名退職
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役、監査役の諸氏満期に付改選の結果何れも再選
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