日本セメント(株)『七十年史. 本編』(1955.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保2年(1831) 8月 平岡通義、長門国阿武郡松本村に生る 業界(工部省関係及び外国を含む)
天保5年(1834) 10月 宇都宮三郎、尾州藩士紳谷半右衛門義重三男として生る 業界(工部省関係及び外国を含む)
嘉永元年(1848) - 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 初代浅野総一郎、富山県氷見郡藪田村村医浅野泰順長子として生る。幼名泰治郎 当社
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
11月 横須賀製鉄所建設発議 政治・経済・社会
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
1月 明治天皇践祚 政治・経済・社会
10月 大政奉還 政治・経済・社会
12月 王政復古号令 政治・経済・社会
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月 鳥羽、伏見の戦 政治・経済・社会
7月 江戸を東京と改称 政治・経済・社会
9月 明治と改元・一世一元の制 政治・経済・社会
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
3月 東京奠都 政治・経済・社会
5月 横須賀製鉄所、船渠建設起工 政治・経済・社会
6月 版籍奉還 政治・経済・社会
- ―この年全国に百姓一揆起る― 政治・経済・社会
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
10月 工部省設置(閏10月) 業界(工部省関係及び外国を含む)
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
4月 横須賀製鉄所を横須賀造船所と改称 政治・経済・社会
7月 廃藩置県 政治・経済・社会
10月 平岡通義、工部省工部少丞(9月)を経て造船権頭に任ぜられる 業界(工部省関係及び外国を含む)
- 横須賀船渠竣工(この工事を契機として国産セメント製造所建設の機運動く) 政治・経済・社会
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月 平岡通義、工部省製作頭兼造船頭となる 業界(工部省関係及び外国を含む)
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