※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月8日 | ペリー浦賀に来航 | 前史//一般事項 | |
- | 島津斉彬、集成館を創設し陶器・ガラス・金属など製造 | 前史//関係会社業界事項 | |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月3日 | ハリス(米)総領事、下田に仮領事館設置 | 前史//一般事項 | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月13日 | 安政の大獄 | 前史//一般事項 | |
- | この年米・蘭・露・英・仏国と修好通商条約調印 | 前史//一般事項 | |
安政6年(1859) | 2月15日 | 神奈川・長崎・函館3港開港 | 前史//一般事項 |
- | 六代森村市左衛門(20オ)、遣米使節のため路銀両替、土産品調達等を命ぜられ、正貨の海外流出を嘆じ海外貿易に志を立つ | 前史//関係会社業界事項 | |
安政7年(1860) | 2月9日 | 遣米使節米国へ出帆 | 前史//一般事項 |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月25日 | 下関事件おこる | 前史//一般事項 | |
8月15日 | 薩英戦争おこる | 前史//一般事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | パリ万国博覧会 | 前史//一般事項 | |
7月 | 兵庫開港、江戸・大阪開市 | 前史//一般事項 | |
11月9日 | 徳川慶喜、大政奉還 | 前史//一般事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 王政復古 | 前史//一般事項 | |
9月3日 | 江戸を東京に改称 | 前史//一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 慶応を明治に改め、一世一元の制を定める | 前史//一般事項 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ワグネル(独)来日 | 前史//関係会社業界事項 | |
- | 瑞穂屋卯三郎、パリ博より帰国、酸化コバルトの使用法を伝える | 前史//関係会社業界事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月29日 | 廃藩置県 | 前史//一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | 学制を頒布 | 前史//一般事項 |