※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 国際連盟発足 | 業界・社会 | |
5月 | 日本最初のメーデー実施 | 業界・社会 | |
6月 | ロンドンのヒューム社が、わが国における特許を申請 | 当社 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 度量衡法改正、メートル法採用 | 業界・社会 | |
11月 | 上記申請の特許許可 | 当社 | |
11月 | ワシントンで日英米仏4国軍縮会議開始 | 業界・社会 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ワシントンで軍縮会議条約調印 | 業界・社会 | |
4月 | 健康保険法公布 | 業界・社会 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 丸ノ内ビル竣工 | 業界・社会 | |
9月 | 関東大震災(死者・行方不明者13万人余) | 業界・社会 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | メートル法実施 | 業界・社会 | |
- | (株)内外商会が横浜でヒューム管を試験製作 | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京・横浜間の鉄道電化完成 | 業界・社会 | |
7月 | 東京放送局放送開始 | 業界・社会 | |
10月 | 「日本ヒューム・コンクリート株式会社」創立、資本金100万円(内25万円払込) | 当社 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 樺太・落合に最初の出張製作 | 当社 | |
12月 | 大阪工場を大阪市西成区津守町に建設開始 | 当社 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 元号を昭和と改元 | 業界・社会 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 金融恐慌勃発、大不況到来 | 業界・社会 | |
12月 | 東京地下鉄、上野~浅草間開通(日本初の地下鉄) | 業界・社会 |