日本煉瓦製造(株)『日本煉瓦100年史』(1990.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
2月 臨時建築局設置(総裁 井上馨) 業界・一般
5月 臨時建築局顧問ベックマンら、粘土採掘地調査のため東京近辺を巡検 当社の歩み
9月 池田栄亮、隅山尚徳、煉瓦製造工場建設の準備に入る 当社の歩み
11月 大高庄右衛門、煉瓦職人としてドイツへ派遣される 当社の歩み
11月 政府、ベックマンの提言により建築技師三名、職人一七名をドイツへ派遣 業界・一般
- 下半期より鉄道業をはじめ紡績業、鉱山業などに会社設立の機運おこる 業界・一般
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
3月 臨時建築局の招聘をうけ、煉瓦技師ドイツ人ナスチェンテス・チーゼ来日 当社の歩み
3月 渋沢栄一、臨時建築局総裁井上馨より機械による煉瓦製造事業設立の要請をうけ、直ちに栄一の地元、埼玉県下深谷近辺で説明会を開く 当社の歩み
4月 上敷免村、明戸村など一四か村から煉瓦工場建設請願書が準備事務所(三井物産会社内)に提出される 当社の歩み
7月 池田栄亮、煉瓦製造用の機械類をハンブルク(ドイツ)のアッヘンバフ商会に注文する 当社の歩み
8月 チーゼ、隅山尚徳ら、上敷免村・明戸村など一四か村の土質を調査する 当社の歩み
9月 池田栄亮、隅山尚徳が計画する煉瓦事業(千葉県下)と渋沢栄一、益田孝の計画する煉瓦事業(埼玉県下)を統合し、第一工場を埼玉県に、第二工場を千葉県に建設することとする 当社の歩み
10月 会社設立願を東京府庁へ提出、日本煉瓦製造会社設立(資本金二〇万円、本社日本橋区箱崎町三丁目一番地、理事長池田栄亮、理事渋沢栄一、益田孝、支配人隅山尚徳、書記諸井恒平、会計方野中真、工業部副監督兼通訳北川俊、技長ドイツ人ナスチェンテス・チーゼ、工場敷地は上敷免村および新井村を合わせ七町八反二四歩〔二万三四二四坪〕) 当社の歩み
11月 煉瓦製造所設立願を埼玉県知事吉田清英に提出し、認可される 当社の歩み
11月 工場用地買収完了 当社の歩み
12月 埼玉県知事に請願巡査の派遣願を提出し、許可される 当社の歩み
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月 清水店(清水建設株式会社の前身)と工場建設請負契約締結 当社の歩み
1月 硫酸瓶製造社を大阪窯業社と改めて、ホフマン式輪窯築造 業界・一般
4月 本社を日本橋区浜町三丁目一番地へ移す 当社の歩み
4月 機械類横浜港到着、組立師エルンスト・エーメ来日 当社の歩み
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