三菱鉱業(株)『三菱鉱業社史』(1976.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月3日 戊辰戦争勃発 関連事項
3月14日 五か条の御誓文発布 関連事項
4月30日 佐賀藩、イギリス人グラバーと高島炭坑の経営、石炭輸出につき契約 関連事項
12月 生野鉱山、官営となる 関連事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
4月17日 高島炭坑、イギリス人技師により北渓井坑(立坑、深さ45m)開鑿完了(我が国炭砿における洋式立坑の始まり) 関連事項
4月 佐渡鉱山、官営となる 関連事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
8月 高島炭坑の経営、グラバー商会よりオランダ商社に肩代り 関連事項
10月9日 岩崎弥太郎、土佐開成商社を創設し、海運事業へ進出 三菱鉱業前史事項
10月18日 土佐開成商社、九十九商会と社名変更 三菱鉱業前史事項
10月20日 工部省設置(鉱山事務、民部省より移管) 関連事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月 九十九商会、新宮藩より租借権を得て万歳、音河両炭山を稼行(三菱の炭砿経営の始まり) 三菱鉱業前史事項
7月14日 廃藩置県 関連事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会、三ツ川商会と社名変更 三菱鉱業前史事項
3月27日 鉱山心得公布 関連事項
5月 政府、外債処理に関連して尾去沢鉱山を経営者村井茂兵衛より没収し、岡田平蔵に払下げ 関連事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三ツ川商会、三菱商会と社名変更 三菱鉱業前史事項
6月 三池炭坑、官営となる 関連事項
7月20日 日本坑法公布 関連事項
12月22日 吉岡鉱山を買収(三菱の鉱山経営の始まり) 三菱鉱業前史事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
1月 高島炭坑、官営となる 関連事項
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