三菱鉱業(株)『三菱鉱業社史』(1976.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
4月 三菱商会、本拠を東京に移転 三菱鉱業前史事項
7月 三菱商会、三菱蒸汽船会社と社名変更 三菱鉱業前史事項
11月10日 後藤象二郎、高島炭坑の払下げを受ける 関連事項
- この年、尾太、八光の両鉱山および大平鉱山の借区許可 三菱鉱業前史事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 「三菱汽船会社規則」制定 三菱鉱業前史事項
9月18日 三菱蒸汽船会社、郵便汽船三菱会社と社名変更 三菱鉱業前史事項
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
10月 瀬川安五郎、荒川鉱山の払下げを受ける 関連事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 西南の役勃発 関連事項
- この年、尾去沢鉱山の経営者岡田平蔵、鉱業会社を組織 関連事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月22日 内方元締役を設置(吉岡鉱山、紀州各炭山、大阪薪炭店を統轄) 三菱鉱業前史事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
3月7日 吉岡鉱山および大阪薪炭店を本社直轄に改める 三菱鉱業前史事項
6月10日 油戸炭坑、官営となる 関連事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 三菱為替店開業 関連事項
4月 高島炭坑経営の後藤象二郎に資金を貸与 三菱鉱業前史事項
11月5日 工場払下概則公布(官営の工場と鉱山を漸次民間に払下げる方針を明示) 関連事項
11月 麻生太吉、鯰田炭坑を開坑 関連事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
3月31日 高島炭坑を買収 三菱鉱業前史事項
4月1日 高島炭坑事務所を設置 三菱鉱業前史事項
4月7日 農商務省設置 関連事項
10月12日 「明治十四年の政変」(大隈重信免官) 関連事項
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