三菱鉱業(株)『三菱鉱業社史』(1976.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
12月 吉岡鉱山において第三通洞の開鑿に盤岩機を使用 三菱鉱業前史事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
8月9日 改正日本坑法公布(石炭坑の借区を1万坪以上に引上げ) 関連事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- この年、全国出炭高100万tを突破 関連事項
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
6月 音河その他紀州炭山の稼行を休止 三菱鉱業前史事項
8月 二子島、中ノ島の2石炭鉱区の払下げを受ける 三菱鉱業前史事項
9月 伊王島、沖ノ島の2石炭鉱区を買収 三菱鉱業前史事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月7日 社長岩崎弥太郎死去 三菱鉱業前史事項
9月30日 郵便汽船三菱会社、海運事業を閉鎖(事業は新設の日本郵船会社に移す) 三菱鉱業前史事項
11月 筑豊坑業組合設立(26年筑豊石炭鉱業組合と改称) 関連事項
12月22日 工部省廃止(鉱山行政は農商務省に移管) 関連事項
- この年、帆足義方、新入炭坑において立坑を完成 関連事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月6日 農商務省、所轄の三池、佐渡、生野の3鉱山を大蔵省に移管 関連事項
3月29日 郵便汽船三菱会社、三菱社と社名変更(社長岩崎弥之助) 三菱鉱業前史事項
5月25日 吉岡鉱山組織慨則制定(吉岡鉱山および周辺の諸鉱山を統合して吉岡鉱山部を設置) 三菱鉱業前史事項
12月 尾去沢鉱山経営の鉱業会社に資金を貸与し、その経営に参加 三菱鉱業前史事項
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
2月18日 高島炭坑外国人技師ストダード退き、南部球吾、高島炭坑鉱山師に就任 三菱鉱業前史事項
10月24日 尾去沢鉱山および大葛・細地両鉱山を買収 三菱鉱業前史事項
- この年、多田鉱山、槙峯鉱山および猿渡鉱山を買収 三菱鉱業前史事項
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月 海軍省、筑豊炭田において封鎖区域(38か村)を定める 関連事項
3月 面谷鉱山を買収 三菱鉱業前史事項
PAGE TOP