吉沢石灰工業(株)『100年のあゆみ』(1973.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
弘化3年(1846) 6月18日 吉沢家11代兵左衛門田作の長男として初代吉沢兵左誕生 当社
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 王政復古の大号令発せられる 一般
- 新政府は石灰の御運上を廃止し一般に石灰の自由な製造販売を許可 一般
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月29日 初代吉沢兵左、葛生町片山に石灰工場を設け吉沢商店で石灰の製造販売を開始 当社
- 地租改正条例を布告 一般
- 内務省を置く 一般
- 横浜製鉄所を海軍省から大蔵省に移管 一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 皇居御造営用の石灰を納入 当社
- 甲申事変勃発 一般
- 深川工作分局廃止 一般
- 日本鉄道会社上野―熊谷間仮開業 一般
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- 浅野工場〈現日本セメント(株)〉へ石灰石の納入開始 当社
- 兵庫造船所(農商務省所管)を川崎正蔵に貸下げ5月川崎造船所と改称 一般
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
6月19日 初代兵左の長男として2代吉沢兵左誕生(幼名隆一) 当社
- 葛生町有志が中心となり安蘇馬車鉄道設立 一般
- 釜石鉱山田中製鉄所設立 一般
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
5月 初代兵左葛生町長に就任(22.5~23.7) 当社
- 大日本帝国憲法発布 一般
- 市制・町村制施行 一般
- 両毛鉄道小山―前橋―高崎間全通 一般
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