(株)神戸製鋼所『神鋼三十年史』(1938.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 合名会社鈴木商店に於て小林清一郎氏経営の小林製鋼所を買収して神戸製鋼所と改称す。
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
6月28日 株式会社に組織を変更し、従来合名会社鈴木商店の神戸製鋼所に属せし権利義務一切を継承して資本金を壱百四拾万円とし、創立総会に於て役員選挙の結果、取締役(社長)に黒川勇熊、同依岡省輔、同田宮嘉右衛門、監査役に伯爵吉井幸蔵、同鈴木岩治郎当選就任す。
7月11日 神戸区裁判所に於て株式会社神戸製鋼所設立登記を完了す。
11月10日 当社株券を発行す。
11月20日 臨時株主総会を開き定款第十条及第二十五条の改正を行ひ、当社の決算期及定時株主総会招集期を毎年二回とす。
12月13日 ドリル工場竣工、独逸ライネツカー社より購入機械の据付を了す。
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
1月19日 当社第一回定時株主総会を開き定款第十五条及第十六条を改正し、取締役の員数を三名以上、監査役の任期を二ケ年とし増員取締役に森田葆光を選任し、神戸区裁判所に登記を了す。
3月12日 墺国ボーレル会社より傭聘せる工具焼入技師ミユーラー来朝、ドリルの製作を開始す。
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
5月15日 造船及鉱業界盛況の為、水圧プレス工場及附属汽缶室を新築、千二百噸の水圧プレス並に汽缶の据付を了す。
7月25日 監査役満期改選の結果伯爵吉井幸蔵、鈴木岩治郎重任す。
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月28日 取締役黒川勇熊、同依岡省輔、同田宮嘉右衛門満期改選の結果三氏共重任、社長に黒川勇熊、常務取締役に田宮嘉右衛門就任す。
9月22日 脇浜公有水面埋立の件に対し主務省より認可を受く。
- (下期)フランス国駆逐艦建造に要する材料を受註す。
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
1月21日 取締役森田葆光満期改選の結果重任す。
7月22日 取締役社長黒川勇熊、監査役鈴木岩治郎辞任、取締役一名補欠選挙の結果、鈴木岩治郎当選す。
8月21日 英国ピーター・ブラザーフード会社と同社の高圧空気圧搾喞筒製作権譲受の契約を締結す。
9月29日 補欠監査役に柳田富士松就任す。
10月24日 脇浜公有水面埋立工事起工式を挙行す。
11月1日 脇浜臨時埋立工事部を設置、工場建設工事に着手す。
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月15日 定款第十五条及第十六条を改正す。
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