(株)神戸製鋼所『神戸製鋼100年 : 1905-2005』(2006.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月 金融恐慌勃発、経済恐慌へ発展 業界・社会一般
5月 就業規則一部改正、8時間労働制採用 当社の沿革
5月 日本最初のメーデー、上野で挙行 業界・社会一般
6月 広島工場から脇浜へ移設の20トン溶鉱炉完成、操業開始。市価値下がりのため3ヵ月で休止 当社の沿革
10月 海岸地区埋め立て工事完了 当社の沿革
10月 第1回国勢調査(総人口7,699万人、内地5,596万人) 業界・社会一般
12月 元海軍技術本部長(海軍中将)伊藤乙次郎、第3代取締役社長に就任 当社の沿革
12月 国際連盟、旧ドイツ領の南洋群島を日本の委任統治に正式決定 業界・社会一般
- 前年に続き、100人の人員整理 当社の沿革
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月 帝国汽船の鳥羽、播磨造船所を買収 当社の沿革
2月 上記買収のため、資本金を2,000万円に増資 当社の沿革
3月 海岸地区の機械工場完成、操業開始 当社の沿革
6月 海岸工場に2,000トンプレス、25トン平炉、各1を新設、操業開始 当社の沿革
7月 京都の戦後発展工業博覧会に鋳鍛鋼品、工具、伸銅品、電気機械類、その他を出品し「大賞」牌受賞 当社の沿革
7月 神戸で労働争議広まる、7日・三菱1万3,000人、8日・川崎2万5,000人がスト、10日・3万人のデモ、12日・三菱・川崎造船所が10日間の休業発表、13日・神鋼鋳造工場が休業、14日・デモ禁止令で軍隊出動、8月9日、三菱・川崎両社解決 業界・社会一般
10月 大阪の工作機械展覧会に工具類を出品、1、2等賞受賞 当社の沿革
10月 水雷発射管、水中発射試験場を新設 当社の沿革
11月 皇太子裕仁親王殿下、摂政となる 業界・社会一般
11月 原敬首相、東京駅で刺殺、高橋是清内閣成立 業界・社会一般
12月 門司工場に1,OOOポンド真鍮溶解用電気炉1基、銅小板ロール2基の増設完了 当社の沿革
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