※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 貿易商兼設備工事業の高田商会倒産、当社設立の契機となる | 社会の動き | |
4月22日 | 創立総会を開催、三機工業株式会社設立(4.1定款制定)//資本金:公称資本金50万円、払込資本金12万5,000円//事業目的:諸機械・諸材料に関する販売業、問屋業、代理業並びに諸工事の設計・機械据付工事請負及び以上に付帯する一切の業務//本店:東京市神田区美土代町3丁目1番地//役員:取締役会長 鳥羽総治、専務取締役安本明治郎//社員:12名 | 当社の歩み | |
4月 | 治安維持法公布 | 社会の動き | |
5月1日 | 営業開始(営業種目:暖房、給排水衛生、製氷、エレベータ、ロバートソンメタル屋根材、スチールサッシ) | 当社の歩み | |
5月7日 | 本店事務所を麹町区有楽町の報知ビル旧館に設置 | 当社の歩み | |
5月 | 衆議院議員選挙法改正公布(普通選挙法) | 社会の動き | |
6月12日 | 警視庁より土木建築工事請負営業の許可を受ける | 当社の歩み | |
6月29日 | 第1回定時株主総会開催 | 当社の歩み | |
7月 | ラジオ本放送開始 | 社会の動き | |
10月18日 | 本店を京橋区畳町の片倉ビルへ移転 | 当社の歩み | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 商標を登録 | 当社の歩み | |
10月5日 | 初の職制として暖房部・衛生部・製氷部・建材部・会計課を設置 | 当社の歩み | |
1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 大正天皇崩御、元号は昭和へ | 社会の動き | |
- | 東洋レーヨン滋賀工場の暖房・衛生工事等および青森製氷の冷蔵倉庫設備を受注、草創期の2大工事となる | 当社の歩み | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月5日 | 第弐三機工業株式会社設立(増資目的) | 当社の歩み | |
3月24日 | スチールサッシ・ドア・シャッターの販売につき東京建鉄・東京鋼板工業と総代理店契約締結、国産サッシの販売開始 | 当社の歩み | |
3月 | 金融恐慌始まる | 社会の動き | |
4月 | 建材部を建材第一部と建材第二部に分割 | 当社の歩み | |
4月 | 蒋介石、国民政府樹立 | 社会の動き | |
5月25日 | 第弐三機工業(株)と合併、公称資本金250万円、払込資本金62万5,000円となる | 当社の歩み |