※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
6月17日 | 組織改正 〔和歌山〕和歌山製鉄所整理事務所を廃し、製鋼所和歌山製作所を新設。 | ||
8月1日 | 移転 本店を大阪市東区安土町田村駒ビルに移転。 | ||
- | 賠償指定 この年、各工場とも連合軍司令部から賠償工場に指定。(のち講和条約発効により全面解除) | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 労働組合 扶桑金属労働組合連合協議会結成。 | ||
4月21日 | 役員異動 柳沢七郎、社長を辞任。広田寿一、専務取締役(筆頭役員)に就任。 | ||
6月12日 | 行幸 〔尼崎〕天皇陛下臨幸。 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 住友本社解散 住友本社解散。 | ||
5月6日 | 組織改正 〔和歌山〕製鋼所和歌山製作所を製鋼所から分離、和歌山製作所と改称。 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 技術誌 技術誌「扶桑金属」第一号発行。(のち「住友金属」と改称) | ||
6月3日 | 人員整理 不況に対処し再建整備方策を組合に提案し、交渉の結果七月末解決。 | ||
7月1日 | 新扶桑金属 企業再建整備計画の認可に基づき第二会社新扶桑金属工業株式会社を設立。資本金七億円。 | ||
7月1日 | 役員異動 広田寿一、社長に就任。 | ||
7月1日 | 扶桑金属解散 扶桑金属工業株式会社解散、清算会社となる。(三十一年十一月二十八日清算結了) | ||
8月16日 | 組織改正 本店を本社、和歌山製作所を和歌山製造所と改称。 | ||
9月20日 | 社債 第一回物上担保附社償信託契約を締結。(総額七億円) | ||
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 組織改正 吹田支所を製鋼所から分離、吹田製作所と改称。 | ||
6月25日 | 朝鮮戦争 朝鮮戦争勃発。(二十八年七月二十七日休戦協定調印) | ||
7月29日 | 資産再評価 資産再評価法に基づき第一次固定資産再評価を実施。 | ||
8月 | 販売 火力発電用高温高圧ボイラ鋼管を九州電力株式会社築上発電所に納入。 | ||
9月3日 | 台風被災 〔製鋼所〕〔尼崎〕ジェーン台風来襲により被災。 |