(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所四十年史』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
7月25日 日清両国間に戦端開かる。 社会記事
8月5日 日本石油株式会社支店新潟鉄工所創立の議決す。工場の位置を新潟市山ノ下に定め、建設の準備に着手す。 会社記事
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
4月23日 仏、独、露の三国干渉。 社会記事
4月27日 日清媾和条約締結。 社会記事
5月10日 遼東還付に関する詔勅下る。 社会記事
6月8日 山口政治氏を支配人に、野村亭作氏を技師長に任ず。 会社記事
6月16日 創立事務所を設く。 会社記事
8月30日 事務所新築成り、創立事務所を撤す。 会社記事
9月 自用コーニッシュ型汽缶の製造に着手す。 会社記事
- 此年事務所、工場、倉庫等六棟竣成す。 会社記事
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
2月6日 英国製主要機械到着す。 会社記事
4月7日 改正船舶検査法公布。 社会記事
5月8日 第一回の製品なる汽機汽缶竣工す。 会社記事
6月23日 北越鉄道株式会社との間に車輛製造契約を締結す。 会社記事
11月11日 鋳工場より発火、工場悉く烏有に帰す。 会社記事
12月25日 工場復旧、操業を開始す。 会社記事
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
2月 八幡に製鉄所設立。 社会記事
3月17日 汽船松前丸機関修理を依頼せらる。機関の引受は之を以て嚆矢とす。(五月二十九日竣成) 会社記事
3月29日 貨幣法公布。(十月一日より実施) 社会記事
3月31日 安進丸より汽機汽缶の製作、五月二日六甲丸より同様の註文を受く。 会社記事
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